軽米城(岩手県軽米町)

◆2016年3月27日(日)、9月4日(日)撮影
 本丸、二の丸に濠をめぐらす東西200m、南北120mの平城。軽米町を見下ろす丘陵上にあり、軽米町役場の敷地を含む一帯である。
役場のある東の廓が二ノ丸(代官所)、駐車場となっている一段高い西の廓が本丸と伝えられ、本丸と二ノ丸の間にはかつて堀があった。
 築城時期は不明。陸奥国糠部郡軽米村に所在し、軽米氏の本拠地であった。

 ちなみに軽米氏については、記録がほとんど残っていないので、詳細は不明であるが、中世後半にその名が古文書に散見され始め、1530年代に「軽米与右衛門」という人物が記された古文書がある(軽米町史(中巻))。1591(天正19)年九戸政実の乱において、九戸政実方に与し九戸城に立て籠った軽米兵右衛門の名前が見られる。(「奥南旧指録」)。乱鎮圧後、軽米氏は没落。

 その後軽米城には、北信愛の三男、九兵衛愛継が2,000石の知行を得ての居城となる。1665(寛文5)年八戸藩の創立に伴い北氏は鹿角大湯に転封、以後、現在の軽米町・九戸村・葛巻町にあたる八戸藩軽米通7,000石を治める軽米通代官所が置かれ明治に至った。明治以後は役所や病院、小学校が置かれるなど軽米町の中心として機能してきた。
(参考サイト:wikipediaなど)

軽米町役場のある二ノ丸には「軽米城跡」の石碑があります。

二ノ丸と伝えられている場所には軽米町役場があります。

二ノ丸からの眺め。軽米町市街地を眺望でき、すぐそばには藩政時代に八戸城下から葛巻町へ至る九戸街道が通っています。

天然の物か人工の物か解りませんが、麓と高台にある二ノ丸の間は高低差があり、急斜面の壕となっています。

本丸跡。現在は駐車場として使用されています。
(2016年9月4日撮影)

一つ疑問に思ったのは、この本丸より一段高いところに平地があり、何らかの施設か本丸の一部だったのではと思います。
(2016年9月4日撮影)

現在は町営住宅となっています。
(2016年9月4日撮影)

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