国土地理院発行地形図5万分の1地形図(大館)(H13.8.1発行)を引用 |
国土地理院発行地形図5万分の1地形図(大館)(S55.11.30発行)を引用 |
花岡鉱山からの鉱石輸送を目的として、1914(大正3)年に花岡鉱山が開設していた専用鉄道を翌1915年(大正4)年鉱山と共に藤田組(同和鉱業の前身)が買収、同年に1909(明治42)年に後の小坂線を開業させていた小坂鉄道に譲渡され、1916(大正5)年に旅客営業も行う普通鉄道として開業した。 この時は、小坂線と同様に762mm軌間の軽便鉄道規格路線であったが、1951(昭和26)年に小坂線より一足早く1067mmへ改軌され(小坂線の改軌は1962年)、国鉄との貨車直通を可能にした。1958(昭和33)年には同和鉱業へ小坂鉄道が合併され、同社の保有となった。 しかし花岡鉱山の閉山を受け、1983(昭和58)年に貨物営業を廃止する。その後しばらく旅客輸送は継続したが、1985(昭和60)年に全線が廃止となった。 なお残った小坂線も、1989(平成元)年に小坂製錬へ経営が移管されたのち、2009(平成21)年に廃止された。 |
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@JR大館駅 | |
JR大館駅舎 |
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A小坂製錬(旧同和鉱業)大館駅 | |
旅客輸送時代の小坂製錬(旧同和鉱業)大館駅はJR大館駅側のこの位置にありました。 |
写真右側にホームのかすかな痕跡を見ることが出来ます。 |
線路を挟んで向かい側にあるこの建物は、1994年10月に小坂線の旅客輸送が終了し、貨物駅化されたときに建て替えられたもの。 |
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「徐行 前方鉄道廃止 段差注意」の看板。廃線後は早々と撤去される踏切設備ですが、未だに残されています。一部では観光鉄道として再開する動きがあるそうです。 |
上り(大館方面) かつては旅客乗り降り用のホームがありましたが、1994年10月に小坂線の旅客輸送が終了された後に撤去されました。 |
下り(花岡・小坂方面) |
貨物ヤード(奥羽本線方面) 貨物ヤードを突っ切るように敷かれたこの市道は、1994年の旅客輸送終了後に敷かれたもののようです。 |
貨物ヤード(小坂方面) 鉱山全盛時には花岡線や小坂線の貨物ターミナルとして機能し、広大な貨物ヤードが広がっていましたが、末期には線路は撤去され、広大な土地が残されました。 |
奥羽本線との分岐点。左が奥羽本線、右にそれているのが花岡線と小坂線に繋がる線路。 末期には、小坂精錬所の鉱石製錬によって生じる濃硫酸をタンクに詰めて運搬する貨物列車が奥羽本線を経由して、秋田市にある奥羽本線貨物支線秋田北港駅まで輸送されていた。 |
B | |
踏切 |
上り(大館方面) |
下り(花岡・小坂方面) 左側の空き地が花岡線の路線跡、右の線路が小坂線。この先で花岡線と小坂線が分岐します。 |
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C小坂線との分岐地点 | |
この地点で花岡線と小坂線が分岐します。左の線路が小坂線、右側の空き地が花岡線の路線跡。 |
下り(花岡方面) |
この先、奥羽本線と立体交差するため、高度を上げていきます。 |
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D | |
コンクリート製の橋梁 |
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E奥羽本線との立体交差地点 | |
付近の踏切から撮影。右から左へと花岡線の橋梁がありました。 |
大館側橋台 |
花岡側橋台 |
花岡側橋台の築堤は崩されていました。 |
花岡側。この先路線跡は生活道路に転用されていました。 |
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F | |
上り(大館方面) |
下り(花岡方面) |
G | |
写真の右から左へと路線が続いていました。 |
上り(大館方面) 踏切があったと思われる箇所のアスファルトがなぜかボロボロになっていました。 |
下り(花岡方面) |
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H乱川橋梁(仮称) | |
大館側 数年前まで橋梁があったようですが、現在は撤去され痕跡は残されていません。 |
花岡側 こちら側にも目立った痕跡はありませんでした。 |
ここの川は「乱川」というそうです。 |
この先、路線跡は続きます。 |
I | |
左手には高舘公園テニスコート、正面には廃線後に敷設された秋田自動車道の高架橋があります。 |
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Jガーター橋跡 | |
県道の橋に沿ってガーター橋が残されています。 |
廃線からおおよそ30年。橋の隙間からは木が生えていました。 |
見た目は現在でも使えそうな状態です。 |
ですが、やはりこのまま木が成長すると、ガーター橋もどうなることやらです。 |
下り(花岡方面)。路線跡はしばらく県道と平行して続いています。 |
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K | |
橋梁跡(その1) |
橋梁跡(その2) |
L松峯バス停 | |
上り(大館方面) |
下り(花岡方面) バス停設置のため、路線跡の一部が崩されたようです。 |
M松峯駅跡 旧松峰集落が隣接する松峰鉱山の地底採鉱による地盤沈下のため、同和鉱業側との補償交渉の末、1973(昭和48)年〜1977(昭和52)年に現在地に集団移転を余儀なくされ、それに伴って1973(昭和48)年に設置された駅。 |
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路線跡にレールが打たれていました。どうやら廃線後に設置された土留めのためと思われます。 |
駅に関係する遺構でしょうか。 松峯駅は簡素な作りだったようで、痕跡は残されていません。 |
傍らには旧同和鉱業の敷地を示す境界杭が設置されていました。現在、路線跡の敷地は1995(平成7)年に大館市に寄贈されています。 |
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N旧同和鉱業松峰鉱山部付近 鉱石積み出し施設跡 |
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上り(大館方面) 当時は隣接する松峰鉱山から産出される鉱石が積み出され、小坂精錬所へ輸送されていました。 |
下り(花岡方面) |
松峰鉱山は1963(昭和38)年に発見された鉱山で、花岡鉱山の中では閉山がいちばん遅く、1994(平成6)年に閉山しました。現在は、DOWAホールディングス・DOWAエコシステム株式会社のエコシステム花岡株式会社として、土壌浄化処理、資源リサイクル事業を行っています。 |
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O橋梁 この先、橋梁が連続して3カ所あります。 |
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P橋梁 | |
路線跡はその後、また県道と合流して、平行して伸びています。 |
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Q | |
真ん中の空き地が路線跡。左の空き地にはかつて同和鉱業白根山社宅が建っていましたが、現在は解体撤去されています。右の建物は、花岡サテライトハイツですが、現在は入居者はいない廃団地となっているようです。 |
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R橋梁 | |
この花岡線の橋梁などの建築遺構を見てきたんですが、大正期の敷設にもかかわらずレンガ造りではなくコンクリートが多用された作りになっていますが、戦後に改軌が行われたので、その時に大幅に作り替えられた可能性があります。 |
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並行して走る自動車橋は「堤沢橋」という名称です。 |
「昭和40年9月竣工」となっています。 |
S | |
上り(大館方面) |
下り(花岡方面) 路線跡は道路左にあります。 |
画面中央の建物は(21)の建物です。 |
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(21) | |
現在は「同和レア.アース株式会社 花岡工場」となっている敷地を通って路線跡が伸びていました。この建物は現役時代には無かったようです。 |
上り(大館方面) 手前の空き地が路線跡。 |
下り(花岡方面) |
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(22)花岡駅跡 かつて駅にはたくさんの引き込み線や留置線があり、現在でも広大な空き地として残されています。 |
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駅近くには花岡鉱業株式会社の建物があり、路線は正門と道路の間を通っていました。 |
中央の空き地にたくさんの引き込み線がありました。左の赤い屋根の建物は鉄道関係施設なんでしょうか。 |
路線跡はこの先青い屋根の建物まで伸びていました。かつての花岡駅は写真中央にある道路反射鏡右の空き地にあったものと思われます。 |
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1975年の空中写真。 花岡駅は解体撤去されましたが、花岡鉱業株式会社の建物と、隣接する現在は赤い屋根になっている建物と終端にある青い建物は現在も健在です。 |
駅名 | 駅間 営業 キロ |
累計 営業 キロ |
所在地 | 開業年月日 | ||
(漢字表記) | (よみ) | |||||
大館駅 | おおだて | - | 0.0 | 秋 田 県 |
大館市 | 1914(大正3)年1月26日 |
松峯駅 | まつみね | 3.2 | 3.2 | 1973(昭和48)年11月1日 | ||
花岡駅 | はなおか | 1.6 | 4.8 | 1914(大正3)年1月26日 |
1914(大正3)年1月26日 | 花岡鉱山専用鉄道として大館〜花岡間開設 |
1915(大正4)年4月 | 藤田組が花岡鉱山を買収 |
1915(大正4)年11月 | 小坂鉄道へ大館〜花岡間の専用鉄道を譲渡 |
1915(大正4)年11月22日 | 鉄道免許状下付(北秋田郡大館町-同郡花岡村間 軌間762mm) |
1916(大正5)年1月26日 | 大館〜花岡間が小坂鉄道により開業 |
1951(昭和26)年11月25日 | 1067mmへ改軌 |
1958(昭和33)年2月1日 | 小坂鉄道が同和鉱業へ合併、同社の運営となる |
1973(昭和48)年11月1日 | 松峯駅開業 |
1983(昭和58)年12月1日 | 貨物営業を廃止 |
1985(昭和60)年4月1日 | 全線廃止 |
1995(平成7)年6月16日 | 花岡線跡地の大半が同和鉱業から大館市に寄贈される |