私は記憶力がかなり悪い方なので、今はまっている作品の、はまったきっかけというものはほとんど覚えていないんですが、片山愁先生については、はっきりとしています。 あれは大学に入り立ての頃、サークルの部室で、卒業生が残していった(というか捨てていった)大量のアニメ雑誌類を引き取ったんですが、それを何となく見ていたら、「ファンロード」にこのイラストがあって、これが妙に気に入ってしまい(ただのいぬ(おおかみ)耳少年大好きなだけ(笑))、それは誰が書いたんだろうといろいろ調べて「片山愁」という人なんだということで、学園便利屋シリーズ、ドラゴンフィストの単行本を買って読んで、ますますのめり込んでしまうという・・・というのがきっかけです。もしこのイラストに出会えなかったらたぶん知らずにそのままだった可能性が高かったです。ありがとう、このいぬ(おおかみ)耳少年イラスト。 |
マイパソコンの周り。この前の東京出張の際に秋葉原のフィギュア専門店で仕入れてきた物。 一枚目(左上)はガンダムSEED。左から、ミリアリア、キラたん、カガリたん、アスラン様。 二枚目(左下)は、ガンダムSEEDのイザークとエヴァンゲリオンのカヲルくん。あとは二等身アスラン様、キラたん。ディスプレイの壁紙は「誰も知らない」の柳楽クン。イザークは設定通りの独りぼっち(笑)。変にこだわっています(笑)。 |
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ワタクシのパソコンの近くにおいてある、現在お気に入りの物、左から、エビスビール(黒)、ガンダムSEEDのオルゴール(旧EDの「あんなに一緒だったのに」)、と、この前の冬コミで買った迎夏生先生の「+ANIMA」のポストカード(キャラ名はクーロです、これがとてもかわいい子で)。 特に、エビスビール(黒)は大好きです。ワタクシはビールにすごいこだわりがあり、「麦芽とホップ」しか原材料にしない物を好みます。米なんか入った物がよくありますが、ワタクシに言わせれば、「そんな不純物を入れた物なんかビールじゃない、邪道だ」です。国産では「エビス」と「モルツ」しか買って飲みません。実は、昔、ドイツの本場の黒ビールを飲んだことがありますが、これがまたすごくうまくて、その影響かと。ドイツでは、「麦芽とホップ」しか原材料にしない物しかビールとして認めないという「ビール法」というものを制定するくらいのこだわりがあります。こんなドイツ的な頑固さに惚れたと言うこともあります。ところで、ヨーロッパでは、ビールは冷やさずに常温で飲むそうです。実はこの方がビールが実においしいんですよ。特に黒ビールが。 このエビスの黒ビール、予想以上に好評で、生産が需要に追いつかなくて、7月末頃まで生産休止となってしまいました(涙)。 |
この第四楽章は、弦楽器+ハープのみで演奏される、せつないまでに甘く、幻想的、耽美的な音楽で、トーマス・マン原作で巨匠ヴィスコンティ監督の映画『ベニスに死す』のなかで使われて一躍有名になりました。マーラーを知らなくてもこの曲は知っているという方は結構いらっしゃるのではないでしょうか。このためこの「第五番」は、マーラー交響曲のなかでも、「第一番」「第九番」と並んで人気が高い曲になっています。 自分的には、このゆったりとして時折ハーブで演奏される幻想的なこの曲が、どうしてもSF的で謎に包まれた「女神候補生」のイメージと重なってしまいます。 |
(予備知識) ・交響曲第五番 マーラー1902年(42歳)の作曲。 この「第五番」は、悲痛で、憂鬱な気分が色濃くただよっているかと思えば、せつないまでに甘く、耽美的という両極端な雰囲気が同居していて、当時のマーラーの内面の複雑な心境がもろに出ている作品です。また、ところところに世紀末ウィーンと呼ばれる一種退廃的なムードもにじみ出ているのも興味深いです。 マーラーの作品は一般に、ストレートで複雑な感情の表現が難しくて、指揮者泣かせであると言われるが、特にこの第五番は、かの大指揮者フルトヴェングラーが、この曲をベルリン・フィルと練習して、疲労困憊のあまり指揮棒を落としたというエピソードがあるくらい、指揮者泣かせの難しい曲となっています。 ・グスタフ・マーラー(1860年〜1911年) 1860年、現在チェコ領となっているオーストリアのカリシュトにユダヤ系の家庭に生まれる。ウィーンの音楽院で学んだ後ライプツィヒ、ブダペスト、ハンブルクといった主要歌劇場で活躍し、稀代の名指揮者としての名声を得るようになる。1897年にウィーン宮廷歌劇場の監督に就任するが、1907年ウィーンで反ユダヤ運動が盛り上がりをみせ、いたたまれなくなった彼は、アメリカに転じる。1911年に死去。 彼は、生涯、交響曲を10曲作曲しているが、名指揮者としての名声が強すぎたことと、時代を先取りした斬新さが強すぎたこともあって、彼の作品は、生前省みられることがなかった。さらに、彼の死後の、排ユダヤ主義を標榜するナチス時代には、マーラーがユダヤ人であったという理由で、演奏自体も禁止されてしまう悲運にも見舞われた。彼の作品が注目・再評価されるようになったのは、彼の死後50年もたった1960年代のことであった。 |