開業:1928(昭和3)年9月25日 所在地:岩手県盛岡市浅岸字大志田14 キロ程:19.2km(盛岡起点) |
駅名由来 その他 下り(宮古方面)1本、上り(盛岡方面)2本しか停車しない、また道路アクセスも悪い、周辺に民家はわずかに2つ、まさに全国屈指の秘境駅。 なお、開業当初は、スイッチバックのための信号所で、乗客の乗り降りや荷物の積み卸しは出来なかった。しかし、当時は駅の北東10kmに宮内省直轄の外山御料牧場(現在は廃止)があり、そこで生産される木炭の積み出しや職員のための生活物資の搬入が必要であったため、宮内省の要請で普通の駅に昇格したと伝えられている。 (参考サイト) http://www.morioka-times.com/news/2009/0906/07/09060704.htm |
駅名標 (2010年7月11日(土)撮影) |
駅舎(待合所) (2010年7月11日(土)撮影) |
上り(盛岡方面) |
下り(宮古方面) 右側へ逸れるレールはかつてのスイッチバックの名残で、現在は保線車両用に使われているようです。 |
スイッチバック遺構 |
枕木を再利用したホーム。 |
「熊」注意の張り紙(((( ;゚Д゚))))ガクブル |
この停車本数・・・日中の列車での訪問は事実上不可能なダイヤ。 |
大志田駅からの眺め。現在2世帯が生活しているとのこと。隣の浅岸駅は0世帯になっているようです。 |
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廃止後(2016年11月6日(日))訪問時 | |
駅舎(待合所)跡 待合所とホームは撤去されていました。 (2016年11月6日(日)撮影) |
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スイッチバックについて スイッチバックとは急勾配を折り返しながら登って急勾配をやり過ごすしくみのことで、道路では「つづら折り」とも言われる。ここ上米内~区界間は急峻な山岳地帯を通り、傾斜は最大25パーミル(1,000メートル進むと25メートル登る、又は下る)と当時の蒸気機関車ではこの急勾配を登ることが至難であった。そのため、現在の大志田駅と浅岸駅にスッチバックを設けた。近年は電車の馬力向上によってスイッチバックは全国的に不要になりつつあり、この大志田駅でも1982(昭和57)年11月25日に撤去された。 この大志田駅と浅岸駅のスイッチバック構造は酷似しており、さながら双子のような関係である。 |
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スッチバック時代の大志田駅の概要 |
現在の大志田駅の概要 |
航空写真(昭和52年度撮影 縮尺1/15,000 写真上が北) 国土情報ウェブマッピングシステムより http://nrb-www.mlit.go.jp/webmapc/mapmain.html http://nrb-www.mlit.go.jp/cgi-bin/WebGIS2/WC_AirPhoto.cgi?IT=p&DT=n&PFN=CTO-77-5&PCN=C1&IDX=4 |
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宮古側にあるスイッチバックとかつての駅舎跡。いまでも線路とホーム跡が残されています。 |
段差を発見。たぶんホーム跡で、旧駅舎があったと思われます。 (2010年7月11日(土)撮影) |
草むらの中にホームを発見。 (2010年7月11日(土)撮影) |
かつて左側の一段高くなった空き地に駅舎があり、中央の階段は駅舎出入り口へのもののようです。 (2016年11月6日(日)撮影) |
こちらは盛岡側。線路右側に草むらに覆われた上り坂になっている路盤のようなものが見えますが、これは加速線の跡と思われます。 (2016年11月6日(日)撮影) |
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(番外編)上米内駅から大志田駅までの風景 大志田駅までのアクセス方法は二つあって、上米内駅から舗装された林道を通るルートと、国道455号線の盛岡市藪川から未舗装ダート路の県道204号線を通るルートがあります。 ちなみに今回の上米内駅からルートは、舗装はされているものの自動車1台がようやく通れる幅しかないので、対向車が来れば所々に設けられている待避スペースですれ違うしかありません。 |
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石造りの趣のある橋脚 昭和初期の建築。明治期のレンガ造りから大正期のコンクリート造りへ移行していますが、ここでは石積みのようです。 |
この周辺は自動車1台がようやく通ることが出来るダート路です |
米内川の清流の音が何とも心地よいです。 |