◆ダイアモンド(Diamond)(和名:金剛石)◆
3月の誕生石、獅子座、天秤座、牡羊座、魚座の守護石


 4月の誕生石で、宝石言葉は、永遠の絆、不屈。語源は、ギリシア語「adamant;アマダント」(侵されない物)→ラテン語「adamas;アダマス」から"a”が抜け落ちたものから。
 硬度10という、地球上で最も硬い宝石であり、永久不変の輝きを持つダイアモンドは、さまざまな人を魅了してきました。
 しかし、ダイヤモンドが宝石の女王としての座を占めるようになったのは、18世紀のことでした。昔からダイヤモンドの輝きは人々を魅了してきましたが、1700年ベネチアの宝石職人ヴィンセント・ペルジーが発明したブリリアンカットは、この宝石の魅力を最大に引き出すものだったのです。
 ダイヤモンドは、中世に至るまで、インドでしか採掘されない幻の宝石と呼ばれました。1726年にブラジルを探検中のポルトガルの軍人が、金鉱掘りの炭坑夫たちが賭をする時にピカピカ光るサイコロを使っているのを発見し、ポルトガルに贈ると、これがダイヤモンドの原石だったことが判明したのです。
 日本語では、「金剛石」と呼ばれますが、仏教の世界では「完全なるもの」を意味します。
 ダイヤモンドを、鉱物学的に見てみると、炭や鉛筆の芯とまったく同じ成分から出来ていて、ダイヤモンドは、実に自然の奇跡が作り上げた宝石といえます。
 主な産地は、ブラジル、インド、ロシア、ナミビア、南アフリカ共和国、ザイール、アンゴラ、オーストラリア、中国です。

◎Colum◎
【結婚指輪として初めてダイアモンドを送った人は】
 それは、中世最後の騎士と呼ばれたオーストリア帝国のマクシミリアン大公です。1477年に最愛のマリーと婚約が整ったとき、剣の柄にはめ込んでいたダイアモンドを2つに割り、1つを自分の、もう一つを婚約者のサイズに合わせた指輪を作り、マリーの指にはめたのです。以来、ウィーンの宮廷ではダイアモンドの指輪が大流行となり、その慣習が今日までに伝えられているのです

【コーイ・ヌール】
 コーイ・ヌールの原石は、インドのゴダベリ湖畔で発見され、代々インドの王侯の秘宝ととして代々王のターバンに巻き込まれ、何よりも大切にされていました。「コーイ・ヌール」はインドや中近東ではこれを手に入れたものは世界を征すると言い伝えられてきました。
コーイ・ヌールは、186カラットもあり、現在イギリス国王の戴冠式の王冠の中心にセットされています。コーイ・ヌールとは、とあるインドの王族からこのダイアモンドを奪い取ったペルシアのサルタン・バーベルが一目見た瞬間「光の山だ」と叫んだ所からこのダイアモンドは現在までペルシア語で、「光の山」を意味する「コーイ・ヌール」と呼ばれるようになったのです。この「コーイ・ヌール」は代々ムガール帝国が所有するようになりましたが、1850年に、インドを制した大英帝国のヴィクトリア女王に献上され、再カットされ、女王のブローチとなりました。現在は、ロンドン塔の奥深くに鎮座しています。

【マリー・アントワネットが愛したリージェント・ダイヤモンド】
 インドのデカン高原で1701年に発見された、直径4cmもあるダイヤモンドは、1717年フランスの摂政(リージェント)に50万ドルで売られました。その後クッション型のブリリアンカットにカットされ、まず最初にルイ15世の王冠にはめられました。その後、マリーアントワネットの黒いベルベット帽の飾りに使われ、彼女はそれが自慢でならなかったといいます。
 現在はルーブル博物館の所蔵されています。

【ルイ14世が愛したフレンチ・ブルーダイヤモンド】
 17世紀フランスの王室御用達宝石商人だったジャン・パティスト・タヴェルニエは、インドのあるヒンズー寺院の神殿に納められていた、神妃シータの像に飾られていた112カラットの青いダイヤモンドを密かに盗み出し、これを太陽王ルイ14世に献上しました。ルイ14世は素晴らしい宝石を献上したものに惜しげもなく貴族の称号を与えていました。このダイヤモンドをいたく気に入った王は、献上者タヴェルニエに貴族の称号を与えたばかりではなく、金10万ポンド(約50トン)を与えたと言います。この宝石は「フレンチ・ブルー」と称せられました。この宝石は、その後、フランス革命の混乱の中で行方が不明となりました。
 ちなみに、タヴェルニエはこれで満足せず、再び宝石を求めて東洋への旅に出て、その途上で84歳の生涯を閉じることになります。

【世界最大のダイヤモンド】
 現在実存するダイヤモンドで、世界最大といわれるのが、「カリナン・1」です。1905年に南アフリカのプレミア・ダイヤモンド鉱山で発掘されました。重さは6212gで、大きさで言えば大人のこぶし大に相当します。鉱山の所有者のカリナン日南で名付けられたカリナン・1は、トランスヴァール政府に80万ドルで売られたあと、時の英国国王エドワード7世に献上されました。その後、9個の大きな石と、96個の小さな石にカットされました。その中の一つは、532.2カラットとウズラの卵と同じ大きさもあり、現在は英国王の王笏の頭に飾られ、戴冠式や王家の公式行事の折りに使われています。
 ちなみに、ダイヤモンドをカットするとき、角度を間違うと、木目に沿ったようにパカッと割れてしまいやすい性質があります。これのカットを命じられたヨセフ・フィッシャーは、最初のカットの刃をうち下ろすとき、緊張のあまり気を失ったという逸話があります。

【ロシア帝国のオルロフ・ダイヤモンド】
 ロシア帝国絶頂期の女帝エカテリーナが、随臣オルロフ公から贈られたダイヤモンドは、オルロフ・ダイヤモンドと呼ばれ、約190カラットでクルミ大の大きさがありました。このダイヤモンドは元々インドのヒンズー寺院の神像にはめ込まれていたもので、あるフランスの宝石商人がヒンズー教に改宗したふりをして寺院に入り込み、この石を盗み出したというエピソードが伝わっています。
 1917年のロシア革命によりロマノフ王朝が崩壊したとき、王家から2万5200カラットのダイヤモンド、4300カラットのエメラルド、6300カラットの真珠が押収され、その中にはこのオルロフ・ダイヤモンドと、87.7カラットもある「シャー・ダイヤモンド」が含まれ、ロマノフ王朝の富の大きさに人々は驚かされました。

【所有者に死をもたらすホープ・ダイヤモンド】
 史上最高級のホープ・ダイヤモンドは、昔インドの荒野を耕していた農夫によって発見され、インドの国王、ペルシアのスルタン、フランスの歴代国王と所有者を転々とし、1803年、ロンドンの競売所に姿を現し、銀行家ホープによって落札されました。しかしこのホープ・ダイヤモンドは、所有者に必ず不慮の死に見舞われるというジンクスがあり、そのジンクス通り、歴代の所有者に劇的な運命が訪れたのです。
 このホープ・ダイヤモンドの最後の所有者であるニューヨークの宝石商「ウィンストン」は、1958年にこの宝石をスミソニアン博物館に寄付し、現在はその呪いは封じ込められています。
 ちなみにこのホープ・ダイヤモンドは元々4つあったと言われますが、現在確認できるものは1つだけです。

 
化学組成C
硬度10
比重3.52


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