福島城(福島県福島市)

◆2016年11月20日(日)撮影
 福島城(ふくしまじょう)は福島県福島市(陸奥国信夫郡)にあった日本の城。福島藩の藩庁がおかれた。現在、福島県庁が立地している一帯が城跡である。平城ではあるが、城の東方と南方は阿武隈川や荒川が流れており、天然の要害として外堀の役割を果たしていた。
 福島城(および杉妻城、大仏城)の築城された年は不明であるが、既に古墳時代からこの土地にある程度の規模を有した建造物が存在したことが、2014年の福島県庁北庁舎建設および大原綜合病院建て替えのため発掘調査が行われた際に判明した。
 平安時代末期には信夫庄佐藤氏一族の杉ノ目太郎信行(すぎのめたろうのぶゆき)の居館があったと伝えられている。大仏城は後に杉妻城(または杉目城)と改められ、伊達晴宗が嫡子・輝宗に家督を譲って隠居した際に米沢城から杉目城へ移ったことからも伊達氏との関係も深い。
 その後、伊達氏、蒲生氏、上杉氏、幕領、堀田氏と目まぐるしく変遷し、最終的には1702(元禄15)年に板倉氏が3万石で入府し、幕末まで続くこととなる。
 ちなみに蒲生氏時代に杉目城から福島城と改名された。
 現在の福島城跡一帯には福島県庁をはじめ公共機関や民間ビルが立ち並んでおり、庭園跡である紅葉山公園や県庁南に残存している土塁、外堀跡の一部が存在する。現在の住居表示では、杉妻町全域、舟場町の各大半。荒町、中町、大町、上町の各一部が該当する。
(参考サイト:wikipediaなど)

福島城の町割り(現地案内板より)

案内板

福島城址の石碑

大手門跡の碑。

本丸御殿の跡。現在は福島県庁向かいの駐車場となっています。

第一小学校に残されている土塁の遺構。現在福島城の遺構として残されているのはもう一ヶ所の土塁のみです。

案内板
校庭の下には内堀が埋められているそうです。1897(明治30)年に第二尋常小学校新設の際に内堀が埋められたとのこと。

本丸馬場跡。現在は福島県庁となっています。

杉妻稲荷神社。

杉妻稲荷神社の案内板。
現在福島市役所分庁舎となっている場所から明治時代に現在地に移されたとのこと。

大仏城跡出土(宝塔)

案内板。宝塔には鎌倉時代である1283(弘安6)年と刻まれ、大仏城、杉目城にゆかりのあるもの。

城の南東部を流れる阿武隈川。天然の堀として福島城を構成していました。現在は浸食により城の一部が削られています。

左が阿武隈川で、右が福島城跡。

板倉神社

福島板倉家の藩祖である板倉重昌(島原の乱で戦死)の霊を祀るために、8代藩主勝長が、1792(寛政4)年に江戸藩邸内に開いた。その後文化2(1805)年に、福島城本丸内へ安置した。1882(明治15)年に旧藩士らが基金を募り、現在の場所へ再建した。

福島県庁西庁舎南側に残されている土塁跡。

ほかに福島城の遺構として残されているのは、前述の小学校敷地内にある土塁のみで大変貴重なものです

土塁跡はL字型になっています。

案内板

庭園跡。
現在は「もみじやま公園」として整備されています。
おまけ

県庁構内にある経緯度標の碑。
東経140度28分11秒1
北緯37度44分52秒6
標高67米88
と刻まれています。

左の四角柱が実際の経緯度標。

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