八幡館(岩手県滝沢市)


2013年6月30日(日)、9月4日(水)撮影
 八幡館山遺跡は、平安時代から戦国時代にかけて築かれた城跡である。(岩手県)滝沢村大釜字白山の八幡館山(標高246.8m)の山頂部にあり、頂上からは麓の大釜地域や秋田街道(国道46号)、雫石川を眼下に見下ろし、さらに盛岡市周辺まで広く見渡せる要衝の地である。
 八幡館山遺跡の山城の遺構は、東西約170m、南北約130mの範囲である。山頂部にはよく整形された径40mほどの平坦面があり、この東から南にかけて一段低く※1腰曲輪(腰曲輪)が付属する。地形と※2縄張り(なわばり)から、この範囲が山城の中心部と考えられ、さらにこれを取り巻いて一段低く帯状の平坦面が周囲を廻っている。西側と南側には外側に土塁(どるい)を伴った空堀があり、東側の尾根には階段状に五段の平坦地が連続し、うね状の縦堀となっている。
 これまでの調査によると、城の特徴は16世紀の戦国時代の山城とされているが、山頂部からは11世紀の椀や小皿の土器片が多数採集されたことから、平安時代の山城を後に改修して再利用していたと考えられる。
 なお、八幡館山の東、1.5kmのところにある大釜館遺跡(おおがまだていせき)(現在の東林寺周辺)からも11世紀の安倍氏時代から16世紀の大釜氏時代のものまで、幅広い年代の遺物が出土しており、同じく時代を重複した遺跡であることがわかっている。
 このことから、八幡館山遺跡と大釜館遺跡は密接につながった一連の遺跡と考えられ、日常の居館は大釜館とし、八幡館山は戦時などの非常事態に立てこもる「砦」的役割に担っていたものと推定される。
 安倍氏や大釜氏など、それぞれの時代を生きた領主たちの戦いの場となったであろうこの歴史的な遺跡を大釜地域の貴重な「宝」と位置付け、末永く守り伝えていきたいものである。
※1 本丸などに付属する堀などで仕切った城内の区画のこと。
※2 城の曲輪・堀・石垣などの配置。また、配置を定めること。
(現地案内板より)

現地案内板より八幡館山の全体図。

左の林が日常の居館であった大釜館遺跡で、右の鉄塔が建っている山が戦時に立て籠もる八幡館山遺跡。
(2013年9月4日(水)撮影)

登山口は2ヶ所あります。片方は案内板がある地点からのルートで若干距離があり時間がかかりますが、その分傾斜も緩やかで登りやすいです。案内板によれば山頂まで約530m、徒歩で20分となっています。

ちなみにもう一方の登山口はこちらで、山頂にある鉄塔の保守管理のために電力会社が設置した作業路です(写真右の黄色の看板がその証)。直線距離なので最短で山頂に到着できますが、その分傾斜もきつく登りが大変です。

案内板ルート。草もなく登山路の状態も良好です。

頂上にある主郭からの眺め。広さは径40mと狭く、どうやら籠城用の郭ではなく、物見砦が設置されていたと思われます。ここからは現在の盛岡市一帯を眺めることが出来、戦略上重要な砦だったと思われます。

麓には田沢湖線(秋田新幹線)が通っていて、ちょうど電車が走っているところを撮影しました。

空堀の跡

八幡館山の南東麓には大釜八幡神社が建っていますが、ここには日常の居館(大釜館)が設けられ、平時には山を下りてここに住んでいたと推定されます。規模は広さは東西50m×南北60mほどで、5m位の小高い場所にあります。

大釜八幡神社内部。手入れが行き届いています。

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