樋爪館(岩手県紫波町)

◆2020年4月12日(日)撮影
 樋爪館(ひづめだて)は、岩手県紫波郡紫波町に所在した日本の城。

 五郎沼に続くこの一帯は、従来樋爪(比爪)氏の居館跡と伝えられてきたところである。
 樋爪氏は、平泉藤原氏初代清衡の子清綱に始まる。一説には本郡産出の砂金支配のために、当地に置かれたものともされる。
 文治五年(一一八九)藤原氏打倒をめざす源頼朝軍の進軍を受けた館主太郎俊衡は、居館を焼失し、樋爪氏はここに栄華の跡を残すのみとなった。
 町教育委員会の数次にわたる発掘調査の結果、赤石小学校々庭とその西部の水田からは当時の建物跡が検出され、北辺には館を区画する大溝も確認されて、当時の風景が徐々に明らかになってきている。
(現地案内板より)

館跡に隣接する五郎沼。奥州藤原氏初代清衡の孫桶爪太郎俊衡、五郎季衡兄弟の館が近くにあり、五郎がこの沼で遊泳していたことからその名がつけられたといわれています。

館跡に隣接する大荘厳寺(だいしょうごんじ)跡。
大荘厳寺は、比爪館の構成要素として、「政庁」、「御所」とともに造営された「寺院」です。奥州藤原氏の滅亡後も大荘厳寺は存続し、中世を通じて、比爪館のあった箱清水地内に所在し続けました。そして、大荘厳寺は近世初頭に、盛岡城下建設にあたって盛岡市加賀野に移転させられ、比爪館ゆかりの地における大荘厳寺は途切れます。さらに、盛岡大荘厳寺は明治初頭の廃仏毀釈で廃寺になっています。
一般社会法人紫波町観光交流協会HPより)

館跡に立つ五郎沼薬師神社。
大荘厳寺の鎮守社と推測され、今から約800年前、比爪太郎俊衡が国家安穏・武運長久の祈願のため、居城内の大荘厳寺の鎮守社として勧進したのが創基とされています。

五郎沼薬師神社

館跡に立つ赤石小学校。

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