別名は古舘。東・南・北の三方が絶壁で、東には摺上川が流れ、天然の要害となっています。 ====(以下現地案内板)==== 城跡 古舘 この舘は文治五年(1189)石那坂の合戦後、伊達朝宗の第四子、伊達四郎為家が築いたもので四代伊賀守政信の時、飯坂氏と改称し代々伊達氏に仕えていた が、十四代飯坂右近将監宗康、天正十七年(1598)に亡くなってから、その娘飯坂局、伊達政宗に従って米沢に移るまで、約三百年間居住したのであります 明治以降は町の中心地として 飯坂小学校 明治十八年から昭和十四年まで五十四年間使用されました 飯坂郵便局 昭和二十四から昭和四十一年まで十七年間営業されました 飯坂電報電話局 昭和二十四から昭和四十一年まで十七年間営業されました 飯坂警察署 昭和二十三年に自治警、その後県警飯坂警察署となり、平成七年に県警福島北警察署に移転されました 飯坂消防署 昭和五十年四月に竣工し現在もこの地で活動中であるが、近年中に移転予定があります 古舘公園 昭和四十三年に新設、三十六年間の老朽化により、平成十六年に大修理、面目を一新しました 平成十六年九月 飯坂町史蹟保存会 ================ ちなみに飯坂局は、十四代飯坂右近将監宗康の娘で、伊達政宗の側室となり、後に庶長子で初代伊予国宇和島藩主となる秀宗を産んでいる。 |
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敷地の一部は公園となっています。 |