金沢城(石川県金沢市)

2005年4月5日(火)、2014年10月4日(土)撮影
 一向一揆衆によって、1546(天正15)年に空堀や柵などを備える城造りの寺院であった金沢御堂(尾山御坊)がこの地に置かれ、加賀の一向一揆を指導したが、1580(天正8)年に佐久間盛政が加賀北部を支配し、金沢城の造営を始めました。
 その後、1583(天正11)年前田利家が金沢城主となり、本格的な近世城郭へと姿を整えていきました。天正14年頃の天守創建、1592(文禄元)年の高石垣建設、1621(元和7)年の本丸拡張などを経て、寛永の大火後(1631年以降)現在の金沢城に近い姿になりました。
 江戸初期の絵図によれば、二の丸が狭く、三の丸や新丸などに家臣の屋敷があるなど、寛永の大火後の絵図と異なるところが多く見られます。
 現在天守はありませんが、1602(慶長7)年に落雷によって焼失するまで、本丸に聳えていました。焼失後、天守の代わりに三階櫓が建てられ、1759(宝暦9)年の火災まで城のシンボルとなっていました。二の丸には寛永の大火後、二の丸御殿が造られ、藩主の御殿、藩庁として藩政の中心にありました。三の丸には河北門・石川門・時鐘・鉄砲所、新丸には作事所・越後屋敷・会所・割場などの施設がありました。
 1871(明治4)年の廃藩置県で明治政府の所轄となって旧陸軍の拠点となり、1949(昭和24)年からは金沢大学のキャンパスとなりました。その後、1995(平成7)年の大学移転により、1996(平成8)年から石川県が金沢城公園として整備を実施しています。(現地案内板より一部修正)
2005年4月5日訪問
2014年10月4日訪問

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