春日山城は、新潟県上越市にある春日山城(標高180m)にあった山城で、城跡は国の史跡に指定されている。戦国武将上杉謙信の城として知られる。別名は鉢ヶ峰城。 春日山城は天守閣や石垣がなく、自然の起伏を生かした空堀と土塁によって多くの曲輪を守る難攻不落の天然の要害である。 築城時期は、南北時代に越後国守護である上杉氏が、越後府中(現在の上越市)に構えた館の防衛拠点として、出城の一つとして築城されたと思われる。 その後、守護代である長尾氏が城主となり、1507(永正4)年守護代であった長尾為景(上杉謙信の実父)が上杉定実を擁立(実際は傀儡)して守護上杉房能を追放(永正の乱)するという下克上を果たし、長尾氏は越後の事実上の支配者となっていく。 2代あとで実子の景虎(後の上杉謙信)の時代になると、領土は最大となり、全国の戦国大名の中の一角を占めるようになる。北陸・信濃・関東に出陣を重ね、宿敵武田信玄との五度にわたる「川中島の合戦」は戦国時代の合戦の中で有名。ちなみに関東管領上杉憲政から上杉氏の家督を譲られ、最終的には上杉謙信となる。これ以降、家名を「上杉」と称することになる。 しかし、次の代の上杉景勝の時代の1598(慶長3)に豊臣秀吉によって会津へ移封されることになり、その後に越後を支配した堀氏は、統治を行う上で不便であるとして、1607(慶長12)年に直江津港近くに福島城を築城して移り、春日山城は廃城となりその役目を終えた。 |
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2011年10月10日(月)撮影 | |
高田城公園を見た後に訪れました。今度で4回目の訪問ですが、天気に恵まれましたので、本丸からの眺めが期待できそうです。 | |
上杉謙信像 |
空堀跡 |
頂上の本丸跡 |
本丸からの眺め(1) 横に伸びている道路が北陸自動車道 |
本丸からの眺め(2) 直江津地区方向。写真中心にあるのが直江津駅 |
本丸からの眺め(3) 春日山地区。上越市役所などの建物が見えます。 |
本丸からの眺め(4) モヤではっきりしませんが、高田城公園が見えました。 |
本丸からの眺め(5) 直江津港方面。日本海が見えました。 |
城跡敷地内にある春日山神社。 |
2002年9月22日(日)、2003年10月12日(日)撮影 | |
春日山城入り口にある、上杉謙信像 (20031012撮影) |
春日山城史跡広場で、復元された春日山城の土塁と堀が見られます。 (20031012撮影) |
春日山本丸跡から眺めた直江津方面。ちょっと見づらいですけど左端は日本海。絶景でした。 (20031012撮影) |
春日山城の本丸跡(20031012撮影) |
左側に盛り上がったところは、春日山城の土塁跡。 (20031012撮影) |
春日山城に今も残る空堀跡。 (20031012撮影) |
春日神社の鳥居。 奈良春日大社の分霊を祭った神社。 (20031012撮影) |
春日神社の境内。 (20031012撮影) |
春日山城敷地内にある春日山神社です。(20031012撮影) |
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春日山神社にあった大砲。実はこっちの方に興味がいきました。 (20031012撮影) |
左の大砲の拡大写真。ロシア語で1898年とあり、日露戦争時に捕獲された戦利品です。 (20031012撮影) |
春日山城の麓にある林泉寺惣門。この惣門は、春日山城から移築されたと言われ、春日山城の往事を今に伝える唯一の門(20020922撮影) |
同じく、林泉寺山門。上杉謙信公生誕400年を記念して大正時代に再建されたもの。(20031012撮影) |
林泉寺の宝物館。上杉謙信や他にまつわる数々の品が納められています。(20020922撮影) |
林泉寺の本堂。 (20031012撮影) |
林泉寺にある上杉謙信公の墓所 (20031012撮影) |