◆九戸城址(岩手県二戸市)◆

2009年5月17日(日)撮影
九戸城(福岡城)の歴史

 南部氏の一族である九戸氏が居城した中世の平山城。九戸政実の4代前の光正が明応年間(1492〜1501年)に築城。その後九戸氏は着実に勢力を拡大します。
 天正8(1580)年三戸城主南部24代晴政が死去。晩年まで嫡男が無く、一族の田子信直(たっこのぶなお)を後継者に指名。しかし、男子(25代晴継=はるつぐ)誕生後は信直を嫌い世継ぎを撤回。晴政の死後、南部は跡目を巡り、信直支持派と晴継擁護の九戸一派とが対立。晴継も13才で謎の死を遂げ、混迷の中、信直が南部26代目を継ぎます。
 天正18(1590)年、秀吉は小田原城攻略後、天下統一の総仕上げとして奥州仕置を開始。小田原不参陣の諸氏を追放しますが仕置軍が去ると残党が蜂起し不穏な状況でした。
 この機に乗じ政実は翌年3月に挙兵。信直は苦戦を強いられ、豊臣秀吉に援軍を要請。南部信直が豊臣秀吉から領地安堵をとりつけていたことから政実の挙兵は、九戸政実の反乱(九戸の乱)とみなされた。9月1日には奥州再仕置軍が馬淵川流域に到着。6万騎を敵に籠城軍は5千人。
 しかし、苦戦と疲弊の上方軍は4日、九戸氏菩提寺の和尚を使者に、政実の武勲を称え、婦子女や下級武士の助命を条件に和議を勧告、政実はこれを呑み開門しますが、これは謀略で、悉く撫で斬りにされ九戸城はあえなく落城。政実らは捕らえられて宮城県三迫で処刑、九戸神社と首洗いの池が残っています。
 秀吉の国内統一は完了し、実名ともに配下の諸国大名となった信直に和賀・稗貫・志和の三郡を加封。さらに、九戸氏の残党への警戒から、秀吉の命によって居残った蒲生氏郷に命じて九戸城を豊臣流の城に改修し、後に南部信直に引き渡された。
 信直はこの城を福岡城と改め、三戸城から居を移し南部の本拠地としました。しかし、この地は領国経営をするには北に位置しすぎて不便であったため、その子利直が盛岡城に本拠を移す寛永13(1636)年に廃城となりました。
 城跡は、1935(昭和10)年6月7日、国の史跡に指定され、現在は保存整備されている。

九戸城(福岡城)の特色・構造

 九戸城には、東北地方の中世の城と近畿地方の近世の城の特色が見られます。地形を活かし曲線的な九戸城の中に直線的に改修された福岡城の部分があります。
 三方を川に囲まれた平山城で、約34m2(指定地21万m2)、東京ドームの約10倍です。
 九戸城旧来の姿を止めるのは若狭舘・戸舘等で、本丸は改築された福岡城であることが解っています。本丸は二ノ丸より一段高く土を盛って築かれており、この盛り土から焼けた生活用品や火縄銃の弾丸が出土し、明らかに合戦後の整地です。堀沿いに土塁と石垣が巡り、土塁の高く広い部分は隅櫓跡です。東の追手門は、門と木橋があったところで、南にも二ノ丸と地続きの小口があります。二ノ丸は、本丸の東と南を囲む形で築かれ、周囲に土塁、南に大手門、北には搦手(からめて)門があります。本丸の西側下は三ノ丸で今は市街地です。松ノ丸は、人工の堀で囲まれ、土塁の一部が残り、南東には武家屋敷の在府小路に面して大手門があります。

(説明文、地図は下記サイトを参照)
http://www.city.ninohe.iwate.jp/kanko/kunohecst/kunohecst.html

土井晩翠の歌碑
昭和19年林檎狩りに訪れた晩翠は、九戸城の悲劇を聞き自ら筆をとり「荒城の月」の書を残し帰りました。それをそのまま刻んだ碑です。繊細な書体と哀愁を帯びた文体は古城に相応しいものです。隣はローマ字の先駆者、田中舘愛橘博士の「九戸城懐古の詩」の碑で、これも漢詩とローマ字の読み下し文を刻んだ珍しいものです。

二ノ丸搦手門跡
二ノ丸から外館(石沢館)、若狭館、三ノ丸方向への虎口跡です。
城の表玄関に当たる大手に対し城の裏手を搦手といいました。この付近から外館前の堀底道を通り九戸城の裏側にある白鳥川まで小径が続いていますが、これは当時からの古い道と考えられ、九戸氏のもう一つの本拠地九戸村へもこちらから川から往来してきたと思われます。

石沢館(外館)跡(1)
若狭館とともに曲線的な造りの曲輪です。本丸、二ノ丸、松ノ丸が直線的で枡形や石垣を伴うなど近世的な特徴が強く見られるのに対して、中世の城郭のたたずまいをよく残しており、青森県根城跡や浪岡城跡などを構成する曲輪によく似ています。

石沢館(外館)跡(2)

本丸の石垣(1)
城郭の石垣では東北最古、野面(のづら)の古式穴太(あのう)積の石垣は蒲生配下の穴太衆によるものとされ、肥前名護屋城(佐賀県)や会津若松城(福島県)に共通する様式です。

本丸の石垣(2)

本丸の石垣(3)

本丸追手門跡

本丸と二の丸との間の石垣

本丸隅櫓跡
城跡で最も標高が高く眺望がすばらしい。見渡すと城の構造がよくわかり、上方軍が布陣した山並みも望め、鬨の声や狼煙が上がった合戦の様子が蘇ります。

本丸隅櫓跡からの眺め

本丸と二の丸をつなぐ本丸虎口

二の丸方向から本丸を見る


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