中野館跡(岩手県盛岡市)

◆2020年8月8日(土)撮影
 館主は九戸政実の弟、中野吉兵衛康実。北上川と簗川の合流地点北側の平地に位置し、館跡全体の規模や構造は不明。 三戸南部氏と抗争してきた高水寺城主斯波詮真が、南部晴政の圧力に屈して、1571(元亀2)年九戸政実の弟弥五郎を女婿として受け入れ、入嗣後に知行地として高田村が与えられ高田吉兵衛康実と名を改めたが、当主が詮真からその子・詮直(詮元)に替わると確執して、1586(天正14)年に康実は南部信直の下へ出奔、信直より中野館を与えられて中野吉兵衛康実と名乗り、これ以降、康実は南部氏側の斯波氏攻略の急先鋒となり、1588(天正16)年に南部氏は斯波氏を滅亡させた。
Wikipediaより)

館跡のあった小高い場所の南側に位置する松尾神社。

松尾神社境内。
松尾神社の周囲西側と南側には丘陵斜面が確認できます。人工的な切岸なのかは不明です。

松尾神社の裏側(北東)はさらに一段高い場所となりますので、主郭ではないかと推定されます。

この付近の最高所で主郭と推定されます。現在は駐車場となっています。

先ほどの駐車場からふもとまで丘陵斜面となっています。人工的な切岸跡の可能性があります。

館跡の東側にあるらかん神社。十六羅漢の石像が立っています。

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