「なこそ」とは、古語における「禁止」の意味の両面接辞『な〜そ』に、『来(く)』(カ行変格活用)の未然形「来(こ)」が挟まれた「な来そ」に由来する。現代語では「来るな」という意味。 平安時代以降たくさんの和歌に枕詞として詠まれ、後三年の役の帰路、源義家がここで詠じた和歌「吹風をなこその関とおもへども・・・」が有名。また、はじめ、紀貫之、小野小町、和泉式部、西行法師なども和歌を詠んでいる。 江戸時代の終わり頃から白河関(福島県白河市)、念珠関(山形県鶴岡市)とともに「奥州三関」の一つに数えられるが、所在地や設置年代は不明で、考古学的な裏付けがないため、存在自体を疑う説もある。また、宮城県利府町に存在するという説もある。 現在見られる勿来関は、江戸時代初期にこの地を領有していた磐城平藩によって観光地として整備されたもので、現在は桜の名称として親しまれている。 (参考サイト:Wikipedia) |
源義家像 |
詩歌の古道。13の歌碑が並んでいます。 |
弓掛の松 |
現地案内板 |
弓弭(ゆはず)の清水 |
現地案内板 |
義家神社 |
勿来関文学歴史館 |