沼宮内城(岩手県岩手町)

◆2020年4月26日(日)撮影
 沼宮内城跡は、沼宮内民部常利の城と伝えられ、西を北上川、南は、大坊川に面して峻立する山城である。
 規模は、東西一八〇メートル、南北三〇〇メートル、三つの郭から成っており、北郭を主郭として、西側は、三段の三重堀、南郭は二重堀、東郭も二重堀で尾根と切れている。
 城主沼宮内氏は、文治五年(一一八九)源頼朝が奥州平泉の藤原氏征討の時戦功のあった相模国河村氏の一族とされ、鎌倉時代からの居城と思われる。
 沼宮内氏の系譜がわかるのは、室町時代末期の民部常利(沼福寺元禄一〇年(一六九六)の過去に<沼宮内城主俗名民部常利>河口源丞利景立置之)と、その子、治部春秀(三〇〇石)が南部氏に服属していた以後である。
 沼宮内城は、天正一九年(一五九一)九戸の乱の際、豊臣秀吉の奥州仕置軍五万三千余騎が駐留し、南部利直(二七代)と軍議を開いた城としても知られている。
 天正二〇年(一五九三)諸城破却令による領内四十八ケ城の一つとして破却された(沼宮内山城破却 川村治部小輔持分)とある。
 沼宮内氏の事蹟(じせき)をみれば、永禄九年(一五六六)鹿角長牛城攻めに援兵、元亀三年(一五七二)斯波表に出陣、天正一五年(一五八六)大館城攻めに参陣、天正一九年(一五九一)九戸の乱に参陣、慶長六年(一六〇一)利直公に従い和賀岩崎城の一揆に出陣、等とみられる。
(現地案内板より)

遠景。国道281号線の城山トンネル直上に主郭がある。

国道281号線の城山トンネルを通ってすぐ左折すると城山公園入口(左側)が見える。

500メートルほど進むと到着です。

堀切上に架かる古城橋。

堀切(1)

堀切(2)

主郭入口

現地案内板

主郭にある菩薩堂。

主郭からの眺め。付近の平野を一望出来ます。中央に見えるのは岩手山。

主郭より一段高い位置にある石碑。おそらく物見櫓があったと思われます。

主郭からの眺め。先ほど通った国道281号線が見えます。

主郭北側にある腰郭。

主郭東側にある腰郭には遊具が置いてあります。

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