大巻館(岩手県紫波町)

◆2020年4月12日(日)撮影
 大巻館(おおまきだて)は、岩手県紫波郡紫波町に所在した日本の城。

 大巻館(河村館)は文治五年(1189)源頼朝の奥州攻略に従って武功があった河村四郎秀清(千鶴丸)が斯波郡東部を拝領して、その子孫季興が拠点として築いた。
 河村氏は南北朝時代には南町方として活躍するが後に北朝方として高水寺城主斯波氏に随従したと伝えられている。
 その後、館跡は大正時代初めに彦部村が現状のままに整備して大正園と名付けられ、現在でも郭・空堀・土塁が残り中世の貴重な遺跡として町指定史跡となっている。
(現地案内板より)

 大巻の北東部、北上川左岸にある館山(たてやま)(標高168m)の山頂にあります。河村館または館平とも呼ばれ、鎌倉時代初期、当地方を領した河村氏の本城であったとされます。文治五年(1189年)の奥州合戦において、河村千鶴丸は8月9日に阿津賀志山(あつかしやま)(福島県伊達郡国見町)で戦功をたてて源頼朝の称賛を受け、元服して河村四郎秀清(ひできよ)を名乗ったといわれています。この戦功により岩手郡の東方三分の一と紫波郡の東方数郷を与えられたと伝わっています。しかし南北朝時代に南朝方についた河村氏は、北朝方の斯波(しば)氏に屈して没落し、一族の多くは同氏に従ったと伝られています。支城として北に大萓生(おおがゆ)(盛岡市都南)・江柄(えがら)・栃内(とちない)・長岡(ながおか)・犬吠森(いぬほえもり)の諸館、南方に佐比内(さひない)館・牛ノ頭((うしのかしら)館・彦部(ひこべ)館があって、西・南・北からの攻略を防御するようになっていたとみられます。館跡は大正初期に公園として利用され大正園(たいしょうえん)と呼ばれました。
一般社会法人紫波町観光交流協会HPより

入口

自動車が2,3台おくことができます。

現地案内板

ふもとにある段丘は、遺構なのか後世のものかは不明です。

急な坂をひたすら歩きます。

「大正園」の石碑が見えてくるともうすぐです。

山頂部(標高168m)。主郭があった場所のようです。

中世山城特有の構造を見ることが出来ます。

ふもとの平野が一望出来ます。

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