乙部館(岩手県盛岡市)

◆2020年5月3日(日)撮影
乙部館址
 斯波氏の臣乙部兵庫の居所と伝える。乙部氏は斯波氏の配下ではあったが、主家頽勢に伴ない時の勢力に応じて天正中乙部治部義説南部氏につかえ所領二〇〇〇石となり斯波郡の大ものの一人と知られる。
 のち南部氏之(これ)を福士左エ門に与えたが、天正二十年(西暦一五九二)六月この館(城)を破却する。
 この館は平山城で乙部川を利用し自然の大地に空堀もつくられ要害堅固の館であったと伝える。
盛岡市教育委員会
(現地案内板より)

 乙部館は南側を乙部川を天然の水堀として利用した平山城で、東郭、中郭、西郭に分けられ、それぞれが大きな空堀で区切られている。
東郭は個人宅、中郭は果樹園、西郭は如法寺となっている。

中郭にある現地案内板。

東郭(左)と中郭(右)全景。東郭は個人宅になっています。

東郭と中郭の間にある空堀。

中郭

中郭は果樹園となっています。

西郭全景。如法寺の境内になっています。

中郭と西郭の間にある空堀。

西郭にある如法寺。

西郭(左)と中郭(右)。下を流れるのが乙部川

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