聖寿寺館跡(青森県三戸郡南部町)

◆2011年5月13日(金)撮影
 聖寿寺館(しょうじゅじだて)は別名本三戸城といい、現在城山公園となっている三戸城ができる以前は三戸城として、南部氏歴代の居城であった。聖寿寺館周辺には南部氏ゆかりの館跡が多いが、その中心的なものである。
 築城時期は不明であるが、近くの政庁(政治を行う場所)である平良ヶ崎館が1192(建久2)年建設とされることから、どうやらこの時期まで遡ることが出来ると思われる。
1539(天文8)年、南部晴政に恨みを抱く家臣赤沼備中の放火により館は焼失した。同時に、たくさんの古文書も焼失し、南部氏の歴史が伝承のみとなってしまった。永禄年間(1558〜70)に現在の三戸城に移り、聖寿寺館は廃城となったとされている。
 聖寿寺館跡は、標高60〜70m(周辺との比高差20m)の丘陵地上に立地しており、館跡内部には数軒の民家があるもののほとんど果樹園で大きな改変はないため、保存状態は極めて良好。館跡は北側と東側を幅約6〜10mの大型の堀で区切られているほか、西側から続く堀跡もある。西側は切り立った断崖で南側は帯郭状になっており、若宮八幡宮が祭られている。1994(平成6)年より本格的な発掘調査が行われ、当時の文物が出土されている。

(参考)
青森県公式ホームページ http://www.nanbu-town.net.pref.aomori.jp/sight/00000018/00000115.html

当時の堀跡。

敷地内は果樹園となっている。
三光寺
聖寿寺館跡の北側に位置している三光寺は、当時の南部氏の菩提寺である聖寿寺、東禅寺、三光庵のうちの一つである三光庵が前身で、南部氏の盛岡移転の頃には、三光庵のみが菩提寺として残り現在に至る。
境内には南部26代信直夫妻の墓所(南部町史跡)、南部27代利直の霊屋(青森県重宝)、利直の四男利康の霊屋(国重文)、南部2代実光の墓所などがあります。

南部2代実光の墓所(1)

南部2代実光の墓所(2)。土が盛られた部分が墓所。

利直の四男利康の霊屋(国重文)。
中に霊屋が安置されています。

利直の四男利康の霊屋(国重文)の案内板。

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