棚倉城(福島県棚倉町)

◆2018年9月16日(日)撮影
 1622(元和元)年、常陸国古渡より棚倉に移封された丹羽長重は、幕府より築城の命を受け1624(寛永元)年、近津明神(都々古別神社)を馬場の地に遷宮し、翌2年、その跡地に棚倉城の築城に着手し、1627(寛永4)年に完成した。
 本丸は土塁と水堀で囲まれる珍しい形をしている。
 1868(慶応4)年の戊辰戦争では奥州越列藩同盟に参加したため、新政府軍に攻撃され、6月24日にわずか1日で落城した。江戸時代の240余年、8家16代の城主交代があり、お堀に住む大亀が水面に浮かぶと決まってお殿様が転封されたということから、別名「亀ケ城」ともいわれる。
 現在、本丸および水堀が亀ヶ城公園として整備されて、堀と土塁が現存する。二の丸の堀は完全に埋め立てられて消失しているが、二の丸西側西側の壕沿いの石垣が棚倉中学校グラウンド脇に現存している。
(参考サイト:wikipedia棚倉町観光協会

城入り口。かつての大手門のあった場所。

大ケヤキの木。かつて築城前にあった近津明神神社の神木で、そのまま残されたと伝えられています。

案内板

本丸の水堀(1)

本丸の水堀(2)

案内板

案内板

おそらく公園整備の時に作られたレプリカの石垣。

本丸は土塁で囲まれるという珍しい形をしています。

土塁の上

土塁から本丸跡の眺め。

本丸跡。現在は更地となり駐車場となっています。

「元帥畑俊六終焉之地」の碑。

二の丸は現在埋め立てられて、跡地には家屋などが建てられています。これは西側にある棚倉中学校。

棚倉中学校グラウンド脇に残存している石垣の跡(1)

棚倉中学校グラウンド脇に残存している石垣の跡(2)

棚倉中学校グラウンド脇に残存している石垣の跡(3)

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