上田城(長野県上田市)

◆2010年6月26日(土)撮影
 上田城は、甲斐武田氏の旧臣である真田昌幸により、1583(天正11)年に築城された平城である。真田昌幸が二度(1585年と1600(慶長5)年) にわたる徳川軍の攻撃を撃退した上田合戦が行われたことで有名で、実戦経験を持つ全国で数少ない城の一つである。関ヶ原の戦い後の1601(慶長6)年、 上田城は徳川の手で破壊されてしまう。徳川側についた嫡男信之が上田領を引き継ぎ、三の丸跡地に居館(陣屋)を構える。1622(元和8)年、真田氏が信 濃国松代へ転封された後は仙石氏が入城し、破却された上田城を現在のような姿に再建した。仙石忠政により、再建された本丸の3棟の櫓(南櫓、北櫓、西櫓) など建物の外壁は煤と柿渋で防水した板を用いた下見板張の黒い外観である。明治以降は、破却や城外への移築が行われて城内には石垣と櫓が1棟残るのみで あったが、昭和期に、移築されていた本丸の櫓2棟が元の位置に復元され、平成期には櫓門や塀などが木造復元されている。

●歴代城主
真田氏(1582〜1622)
仙石氏(1622〜1706)
松平氏(1706〜1872)

東櫓。正真正銘の現存櫓。

東虎口櫓門左手の南櫓。隣の北櫓とともに明治時代に民間に払い下げられ、一時期は遊郭になっていた。1943(昭和18)年から同24年にかけて、現在の地へ再移築された。

東虎口櫓門(大手門)。1994(平成6)年に再建。

南櫓(左)、東虎口櫓門(中央)、北櫓(右)

東虎口櫓門より堀を望む

大手門の巨石「真田石」。信之が松代城転封にあたり、父の形見として持っていこうとしたところ、1万人以上の男を動員してもびくともしなかったという言い伝えがあります。


石落とし場。ここから石を落として、敵を撃退します。

城跡内にある真田神社

西櫓から上田市内を眺める

真田井戸。城内唯一の大井戸でもあった。この井戸からは抜け穴があって、白の北方、太郎山麓や藩主居館跡にも通じていたとの伝説もある。

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