従来から、安倍貞任(あべのさだとう)の臣善知鳥文治安方(うとうぶんじやすかた)の居館跡と伝えられてきました。昭和38年6月、紫波町教育委員会が主体となり、岩手大学板橋源教授を主任調査員として発掘調査を実施した結果、この遺跡は、安倍氏の柵か、もしくは安倍氏につながりのある有力者の居館であったろうと推定されるに至りました。つまり、安倍氏時代における当地域は、この遺跡を拠点として支配されていたと想定されています。 (紫波町観光交流協会HPより) |
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館跡を示す標柱。 |
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現状は遺構らしきものは明確には残されていません。 |
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国道4号が西側を通ります。 |
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南側は滝名川に面しています。 |
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