横手城(秋田県横手市)

◆2011年10月1日(土)撮影
 横手城は、別名朝倉城とも呼ばれる。築城時期は諸説あるが、1554(天文23)年頃、この地を支配していた小野寺氏によって築かれた。
 関ヶ原の戦いの時、時の城主小野寺義道は、上杉景勝に通じたことにより西軍側と見なされ、1601(慶長6)年に改易され、一時的に最上氏の領有となった。翌年の1602(慶長7)年に佐竹氏が転封されたことにより、この城も佐竹氏のものとなり、城代がここに置かれた。城代には伊達盛重、続いて須田盛秀が就き、1672(寛文12)年に佐竹氏一門の戸村義連が就任し、明治維新まで戸村氏がつとめる。
 なお、1620(元和6)年の一国一城令により領内の支城は却されたが、藩領が広大であることと横手城は重要な拠点に位置していたため、佐竹義宣が幕府に働きかけた結果、例外として大館城と共に破却を免れた。
幕末の戊辰戦争では、佐竹氏は官軍側についたため、幕府軍側の仙台藩と庄内藩によって藩は攻め込まれ、横手城でも激闘が繰り広げられたが、落城する。
 1871(明治4)に廃城となり、本丸跡には戊辰戦争で焼け残った城の資材を再利用して秋田神社が建立された。
 現在は天守があるが、もともと横手城には天守がなかったものの、1965(昭和40)年に郷土資料館と展望台を兼ねてコンクリート製の模擬天守が建設された。ちなみに、この天守は、東北地方における模擬天守の最初のものである。

模擬天守(1)

模擬天守(2)

城跡一帯に整備された公園敷地内には蒸気機関車が展示されていました。

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