米内館(岩手県盛岡市)

◆2020年4月29日(水)撮影
 米内(よない)館は、米内川左岸に広がる狭い平野を見下ろす小丘陵にある標高220m、比高20mほどの館城である。現況は畑として利用されているため、かつてどのような構造になっていたかは不明である。単郭と言われているが、北や西部にも小規模な郭と見られる平坦地が見られる。
 築城時期は不明で、おそらく米内氏の居城とされる。米内氏は、安倍貞任の庶流で、秋田安東氏の安東太郎盛季の孫が秋田から来住したものが始祖となった一方井氏(岩手県岩手町)の支族であるが、米内氏の目立った記録は不明である。天正年間(1573年〜1593年)末期の当主は米内右近で、南部信直に従い日戸内膳・福士淡路とともに不来方城の警護にあたった。
 この館は、重要な街道が付近に通っていないためか要害性は低く、おそらく開発領主の拠点として機能していたものと考えられる。

前景(西側麓から)
ふもとにある踏切は「舘踏切」。

館の北縁と西縁にはJR山田線の線路が通っています。

館北側にある畑井野踏切から館に入ることが出来ます。

ふもとにあるため池は、農業用水として使用されているようです。

主郭までは畑の作業用道路があるので移動は容易です。

主郭(写真右側)を一周する空堀。良好な状態で残されています。

主郭。現在は畑として使用されています。

主郭からの眺め。ふもとの平野を一望出来ます。

主郭からの眺め。写真右寄りにあるのはJR山田線上米内駅。

主郭の北側にある小規模な郭。

主郭南側にある平野。現在は果樹園になっているが、後年開墾されたところか館跡なのか不明です。

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