◆ドイツ国会議事堂(Reichstagsgebäude)◆

  1871年にドイツが統一され、ドイツ帝国が成立するが、国会は既存の建物を 転々として開会されていたので、国会議事堂の建設が必要との声が出るようになっていった。そこで建築家パウル・ヴァロットの設計で、1884年に最初の礎石を皇帝が置き建設が始まり、10年の歳月をかけて1894年に完成した。ドイツ帝国の象徴的な建築物として帝政ドイツ、ヴァイマル共和国を通じて下院の議事堂として機能したが、1933年2月27日の不審火によって炎上し全焼した。 ナチス・ドイツ時代、国会はほとんど開かれず、全焼した国会議事堂の修復はまったく行われなかった。臨時国会議事堂にあてられたクロル・オペラ劇場も第二次大戦を生き延びることは出来ず空襲で全壊した。 第二次世界大戦では1943年のベルリン大空襲で被害を受け、末期のベルリンの戦いでは赤軍の主要な攻撃目標とされたため激しい戦闘が繰り広げられ廃墟となった。ちなみに赤軍兵士が国会議事堂の屋根にソ連国旗を掲げる写真は、「ライヒスタークの赤旗」としてベルリン陥落を象徴するものして知られる。 戦後は、東西ドイツに分断され、旧西ドイツは首都をボンに定めたため、ベルリンの旧国会議事堂は修復されずに廃墟のままにされた。 1990年のドイツ再統一後、首都機能をベルリンに戻すことになったことから、旧国会議事堂を連邦議会の議事堂として再利用することが決まり、大規模な修復が始まり1999年に完成した。

ドイツ国会議事堂

宿泊先から国会議事堂までは徒歩で10分ほどの距離でしたので、歩いて移動。中央の塔はベルリンの阿智事で見ることが出来る旧東ドイツが建設したテレビ塔。後日訪れることにしています。

ドイツ国会議事堂が見えます。手前の橋はモルトケ橋(Moltkebrücke)。

モルトケ橋はシュプレー川に架かる橋。

モルトケ橋は、ドイツ建国の立役者であるヘルムート・モルトケ参謀総長にちなんで、1886~1891年に建設されます。1945年のベルリンの戦いではソ連軍の進行を遅らせるためにドイツ軍に爆破されます。戦後の1947年には修復され、1983~1986年に大規模な修復がされています。

ベルリン中央駅が見えます。

ドイツ国会議事堂の標語「DEM DEUTSHEN VOLKE」は建設当時からあり、日本語では「ドイツ国民のために」である。

国会議事堂の前には広大な広場が広がっていて市民の憩いの場となっている。現在ティアーガルテンにある戦勝記念塔(Siegessäule)はかつてこの場所にあった。

国会議事堂の南側、ブランデンブルク門に面した場所。
ここに1945年5月2日のベルリン陥落を象徴する赤旗(ライヒスタークの赤旗)が掲げられた場所としても知られています。

余談ですが、この写真は報道用に後日撮り直ししたそうです。

国会議事堂からブランベンブルク門まではすぐそこです。

国会議事堂前にあるナチスによって殺害された96人の国会議員を追悼するパブリックアート。

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