第二次世界大戦前、ベルリンにはいくつかのターミナル駅が存在していた。アンハルター駅もその一つで、19世紀中ごろにベルリンとドイツ中部のアンハルト地方(現在のザクセン・アンハルト州)を結ぶ駅として建設されたため、その名に因む。後にベルリン発着の国内外の長距離鉄道の玄関駅の一つとしてとして大いににぎわった。現在みられる建物跡は1880年に完成したもので、時のヴィルヘルム1世とビスマルクも落成式に同席した。また、ベルリン中心部に近く、内外の政府要人が降り立つ堂々たる威容を誇る駅は、「カイザー・バーンホフ(皇帝駅)」の異名を取るほどだった。 ポツダム駅東側に近接。現在の「ドイツ技術博物館」はこの駅に付属する機関庫だった。第二次世界大戦の空襲で徹底的に破壊された。戦後の混乱期は応急的な修繕を行って使われていたが、連合国によるドイツ分割統治によりアルンハルター駅のある西ベルリン地区は、東ドイツの中にある西ドイツの飛び地状態となったことから鉄道網が寸断され、全盛期の長距離列車の運行は行われることはなく、駅舎も再建されることはなく1952年には完全に営業を停止。1959年には正面のファサードを残して爆破解体された。現在は正面のファサード部分をわずかに残すのみであり、近くにある同名の近郊電車Sバーン駅が地下に現存している。また、大戦中には大勢のユダヤ人たちがこの駅からチェコ経由で各地の強制収容所に送られたことを示す案内板が建てられている。 |
正面玄関 |
正面玄関内部 |
正面玄関裏側 |
大戦中の空襲で損壊したと思われる銅像。 |
大戦中には大勢のユダヤ人たちがこの駅からチェコ経由で各地の強制収容所に送られたことを示す案内板が建てられています。左には日付と輸送人数が記されている。1942年6月2日に始まり、終戦直前の1945年3月27日まで計116回続けられた。 |
近くには同名の近郊電車Sバーン駅が地下にあり、往年のアルンハルター駅の写真が展示されている。こちらは全盛期の1935年のもの。 |
こちらは1880年の駅内部の写真。 |