現在、連邦国防省の第2庁舎となっている、ベルリンのベンドラーブロック(ベンドラー街)。ティーアガルテンとラントヴェーア運河の間に位置する。ドイツ帝国海軍の庁舎として建てられ、ナチス時代には増築されて国防軍最高司令部や陸軍総司令部が置かれた。 国防軍総司令部と陸軍総司令部は、1939年の開戦直前に完成したベルリン南方24kmのヴュンスドルフに設けられた地下ブンカー施設に移された。当時から既に防空意識が高く、すべてが地下に構築され、地上は長閑な農村風景が演出されていた。秘匿名称は Maybach I である。国防軍最高司令部のそれは Maybach II と呼ばれていた。1940年4月20日からは2個指揮通信連隊が追加されて陸軍総司令部と軍集団司令部、軍司令部との長距離通信網を充実させた。共用の長距離指揮通信施設(Zeppelin、あるいはAmt 500)である。戦後も駐留ソ連軍司令部が1990年のドイツ再統一まで利用した。現在、ブンカー跡を見学することが出来る。 この建物は、ヒトラー暗殺未遂事件当時には暗殺計画に関与する将校らが属する国内予備軍の本部が置かれていた。現在は国防省のほか、ここで処刑された暗殺計画関係者を記念するドイツ抵抗運動記念館も置かれている (Wikipedia、Wikipediaより) |
ここにはかつて陸軍総司令部があり、ナチスの不当な統治を打倒するために1944年7月20日未遂事件が組織された場所である。このために、彼らは自らの人生を犠牲にした。 ドイツ連邦共和国とベルリン州は記念の場所として1980年に新しく設置された。 |
ナチス政権下における抵抗運動の展示があります。時間の関係でじっくりと見ることが出来ませんでしたが、とにかく展示量が膨大でした。 |
いわゆるシンドラーのリストとして知られる文書。 700名の男性と300名の女性が含まれ、クラクフからビリュンニッツへの工場へ移送され、生き残ることが出来た。 |
ここで1944年7月20日の深夜に銃殺刑が行われました。 |
銅板にはこのように記されています。 ドイツのためにここで死す。 陸軍上級大将:ルードヴィヒ・ベック 陸軍歩兵科大将:フリードリヒ・オルブリヒト 陸軍大佐:クラウス・グラーフ・シェンク・フォン・シュタウフェンベルク 陸軍大佐:アルブレヒト・リッター・メルツ・フォン・クィルンハイム 陸軍中尉:ヴェルナー・フォン・ヘフテン ちなみにこの中庭で銃殺刑に処されたのはベック以外の4名で、ベックは建物内の一室で拳銃自殺しました。 |
中庭には銅像が建っていました。 |
気になったレリーフ。ドイツ(プロイセン)にとって重要な戦争のもののようです。 1756~1763年:七年戦争 1813~1815年:ナポレオン戦争 1870~1871年:普仏戦争 1914~1918年:第一次世界大戦 |