◆カイザー・ヴィルヘルム記念教会(Kaiser-Wilhelm-Gedachtniskirche)◆

 ベルリン・シャルロッテンブルク=ヴィルマースドルフ区のシャルロッテンブルク地区にある福音主義教会である。ヴィルヘルム皇帝記念教会とも訳される。カイザー・ヴィルヘルム記念教会福音主義共同体がここでルター派礼拝をおこなっている。
 空襲で破壊されたままの旧教会堂鐘楼、ドイツ皇帝一家を記念し、戦争を警告する記念碑として残されている旧教会堂ホール、エゴン・アイアーマンによって設計されたモダンな新教会堂と新鐘楼で構成されているカイザー・ヴィルヘルム記念教会はベルリン西部地区を代表する建築物である。
 1888年に死去したドイツ皇帝ヴィルヘルム1世を追悼して、孫のヴィルヘルム2世によって1891年に起工し、1895年9月1日に完成した。
 1943年11月23日夜の英国空軍のベルリン空襲によって、旧教会堂は炎上し、身廊部分を支える骨組みが崩壊すると同時に、一番大きい教会塔の頂部が折れて崩れた。戦争終結後に崩れた旧教会堂が以前と同様な形態で再建する約束がナチス政府によって為されていた。それとは対照的に、第二次世界大戦時後の戦勝国はヴィルヘルム帝政時代を反映するような旧教会堂のそのままの再建には難色を示した。戦後しばらく、カイザー・ヴィルヘルム記念教会の旧教会堂は崩れたまま放置されていた。1956年になって初めて旧教会堂内陣部分の瓦礫の撤去が開始された。
 第2次世界大戦時のベルリン空襲による旧鐘楼廃墟は戦争への反省を促す警告記念碑として崩れたままの状態に置かれた。旧鐘楼廃墟は時間の経過によって全面的な修復が必要とされる状況になった。カイザー・ヴィルヘルム記念教会建築アンサンブルの維持に関しての教会共同体のイニシアチブによって、ベルリンの様々な企業が旧鐘楼廃墟修復のための資金集めに加わった。
 2010年10月に旧鐘楼廃墟部分に修復用足場が組まれて、2012年初めには旧鐘楼内の修復も開始された。本格的修復作業は2013年には終了し、2013年8月には修復のための足場も大半が撤去された。
 新教会は、廃墟になった旧教会堂を中心にして西側に8角形の新教会堂身廊と長方形のホワイエが配置され、東側に6角形の新鐘楼(53,5m)と長方形の小礼拝堂が置かれている。1959年5月9日に新教会堂の礎石が据えられ、1961年12月17日に新教会堂完成献堂式がおこなわれた。カイザー・ヴィルヘルム記念教会新教会堂を含む建築アンサンブルはドイツの戦後を象徴する重要な記念碑、ベルリンの代表する建築物として見なされるようになった。その後、ベルリンの市民たちは8角形の新教会堂に化粧コンパクトケース、新鐘楼にリップスティックという愛称をつけた。
Wikipediaより)

左のオレンジの建物は新鐘楼(通称:リップスティック)、旧鐘楼(通称:虫歯)、手前の8角形の建物が新教会堂(通称:化粧コンパクトケース)。

旧鐘楼

旧鐘楼上部

旧鐘楼下部。砲弾の跡がそのまま残されていました。

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