高射砲塔は、第二次世界大戦中にドイツ空軍が、連合国の空襲から戦略上重要な都市を防衛するための都市防空設備として建築した、鉄筋コンクリート製の巨大な高層防空施設である。形状により第1世代~第3世代にわかれ、内部には市民のための避難壕、病院、水道、発電機や美術品などの文化財の収納庫も備えていた。強力な武装により毎分8000発の発射量を持って射程14kmをカバーすることが出来たが、本来の目的である対空防御戦においては連合軍機は高射砲塔を避けて飛行したため、活躍はほとんどなかったが、大戦末期の地上戦では抵抗拠点として敵軍の進撃を遅滞させるなど、それなりの活躍を見せた。 戦後は武装を始め各種装備は撤去され、高射砲塔自体も解体撤去が進められたが、あまりにも頑丈に造られていたために爆破解体が困難であり、現存しているものも多く(ウィーン、ハンブルクなど)、様々な用途に転用されるなどしてその遺構が残る。 ベルリンでは3か所が建設され、その一つのフンボルトハイン高射砲塔(Flakturm III、第1世代)は、フンボルトハイン公園(Volkspark Humboldthain)内に1942年4月完成した。構造としては砲撃を行うG塔(Gefechtsturm)と管制を行うL塔(Leitturm)のペアで運用された。 戦時中には片足を失って負傷した「戦車キラー」ハンス・ルーデル大佐がここの病院に収容され、治療を受けたり、著名な女性パイロットであるハンナ・ライチュがベルリン陥落目前の上空から見た時に「ドイツ敗戦の象徴のよう」という話など残されている。 戦後、G塔、L塔共に破壊されたがG塔の一部が現存し、高射砲塔の上部は展望台として、壁面はロッククライミングの練習場として使用されている。 ちなみに、フンボルトハイン公園(Volkspark Humboldthain)は、ミッテ区の北側ゲズントブルンネンにある29haの公園。1869年から76年にかけてグスタフ・マイヤーの設計により造られた。 (Wikipediaより) |
最寄り駅であるベルリン・ゲズンドブルンネン駅に到着。 |
高射砲塔はこの駅のすぐ近くにあるフンボルトハイン公園の高台に位置しています。でも、フンボルトハイン公園の入口がわからず少々回り道をしてしまいました。 |
ようやく公園内に入ることが出来ました。公園内には控えめながら行き先案内板がありました。 |
坂を登ること数分、ようやく到着。 |
麓にはSバーンの路線があり、この高射砲塔が完全に撤去されなかったのは、爆破によってこの線路へ影響が出るのを避けたためとも言われています。 |
高台に設置されているため、周辺を眺望出来ます。 |
砲弾の後があちこちに残されています。 |
下の壁に人がへばりついていますが、高射砲塔の壁面はロッククライミングの練習場として使用されてます。 |
ロッククライミングの練習場として使用されている壁面。あちこちにある砲弾痕がちょうどいいみたいです。 |
砲弾痕で一番大きいものは人の背丈ほどあります。 |
麓から撮影。訪問したこの時期は木が生い茂っていて頂上部しか見えませんが、冬の時期ですと落葉して遮るものが少なくなるので、もう少し全体が見えるかもしれません。 |