ベルリン東側の郊外リヒテンベルク区のカールホルスト (Karlshorst) 地区にある博物館。 もともとはドイツ国防軍工兵学校の講堂であったものをベルリンの戦いでソ連軍が接収して司令部を置いたもので、1945年5月8日にドイツが連合国側と降伏文書に調印した場所。この調印によってヨーロッパでの第二次世界大戦は終結。 戦後、冷戦時代に旧ソ連によって博物館として整備され、降伏文書調印式が行われた大広間や旧ソ連の視点から見た各種展示物がある。 |
ここで問題発生。最寄り駅はSバーンのカールスホルスト駅ですが、何度電車に乗っても駅を通過するだけでしたのでおかしいと思ったんですが、駅が改修工事で封鎖されていたと言うことが判明。一つ前のルンメルスブルク信号場駅で降りてバスを使用するようにとのこの掲示がありました。ドイツの鉄道では駅が改修工事で閉鎖されたり、路線ごと改修のため休止することは良くあることだそうで。 しかも、駅前から代行バスが走っているわけではなく、700mほど歩いた既存路線のバス停まで歩くというもの。さらに今回の旅でバスの乗り方は事前に調べていたとはいえ、使ったことがなくいまいち不安だったこと。一時は訪問を断念しようかかと思いましたが、ここまで来たら行くしか無いと腹をくくりました。まずはバス停探しですが、Googlemap先生のおかげで道に迷わず命拾いしました。 |
ほどなくしてバス停を発見。系統を間違えないように時刻表を見て確認。バスはまもなく到着するようです。 |
10分ほど待ってバスが到着。カールスホルスト行きなので、間違いようがありません。一日乗車券を運転手に見せて無事にバスに乗り込み成功。 |
バスの中にあるバス路線図を見て、次に降りるバス停を確認して最寄りのバス停に無事降りることに成功。すぐに博物館の方向を示す案内板を発見。いやはや想定外の連続だったので疲れました。 |
ようやく博物館に到着。 |
屋外に展示されていた旧西ドイツ地区にあるシュリューター通りにあった橋脚の貫通痕。 |
分厚い鉄の橋脚のすさまじい貫通痕を見ることが出来ます。 |
展示されているT34-85中戦車。案内板によると1944年製とのことなので、ベルリンの戦いに参加した車両の可能性があります。6角形の回転砲塔が特徴的です。 |
入場は無料ですが、荷物をコインロッカーに預ける決まりだそうで、荷物を預け、入口へと。ロシア語さっぱりわかりません。 |
降伏文書調印が行われた部屋。奥側には戦勝国の代表、手前には戦勝国の将校が座り、ドイツ側の代表には右側の花瓶が一つだけ置かれた机といすが用意され、手前から、フリーデブルク海軍大将(海軍)、カイテル陸軍元帥(陸軍)、シュトゥムプフ空軍上級大将(空軍)と陸海空三軍の代表が座った。ドイツのほかの将校は立ったままだったという。勝者と敗者の扱いの違いをまざまざと見せつける演出でしょう。 |
テレビ画面には降伏文書調印の映像が繰り返し流されていました。画面の人物は国防軍総司令部総長であるカイテル陸軍元帥。 |
こちらは降伏文書調印の写真。 (Wikipediaより) |
ロシア革命によるソ連誕生から始まる展示の数々。旧ソ連が設置した博物館だけあって、旧ソ連の歴史の説明が大半でした。 |
こちらはベルリンの戦いの時、第1白ロシア戦線司令官で、戦後はドイツ駐留ソ連軍最高司令官となったジューコフ元帥の執務室。 |
実際着用していた軍服とジューコフ元帥の略歴を紹介した案内板が展示されていました。 |
展示品の一つ。ベルリンの戦いを終結させた、ベルリン防衛司令官ヴァイトリンク砲兵科大将名での停戦命令書(おそらく複製)。 |
ベルリンの戦いでの壮絶な激戦地となった国会議事堂を巡る戦いのジオラマ。 |
ジオラマの題名は「国会議事堂での嵐」。 |
1941年6月22日の独ソ戦開始から、1945年5月9日の終戦までの一連の案内板。 |
独ソ戦のクライマックスである、1945年4月16日ベルリンの戦い開始の案内板。 |
そして1945年5月8日~9日にかけてのドイツ降伏。 |
時間の関係でじっくりと見ることが出来ませんでしたが、ここの展示が膨大で、写真を撮るので大忙しでした。 |
帰りはSバーンのリヒテンベルク駅行きのバスに乗り込みました。 |
リヒテンベルク駅に到着。 |
ここでSバーンに乗りかえて宿泊先に帰宅。 |