旧福島交通飯坂東線
伊達橋付近の遺構

◆2013年9月22日(日)撮影
 現在の飯坂線が「飯坂西線」と呼ばれた時代、国道4号を経由して福島〜長岡〜湯野を結んだ路線があり、「飯坂東線」と呼ばれました。さらに支線として保原線・梁川線・掛田線があり、総称で「飯坂東線」と呼ぶこともあります。「飯坂西線」が専用軌道だったのに対して、「飯坂東線」は路面電車でした。長らく福島市の市街電車であるのと同時に、都市間電気鉄道の意味合いも併せ持っていました。長らく住民の足として親しまれましたが、1960年代からのモータリゼーションの進行によって徐々に路線は縮小され、最後に残った飯坂東線も1971(昭和46)年に廃止されました。

 現在では、飯坂東線の遺構は路面電車であったという性格上、道路拡張などによってあまり残されていませんが、最大の遺構がこの伊達橋です。

※参考、引用サイト:Wikipedia

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伊達橋の地図

左が車道専用、右が歩道専用となっていますが、かつては右の橋が初代伊達橋で、路面電車と自動車が走っていました。ちなみに左の橋は1966(昭和41)年の竣工。
案内板によれば、1921(大正10)年に竣工。トラスの部材は英国製で、形式は下路連続トラス橋、橋長263.31m、幅員2.5mの橋で、土木学会の歴史的な鋼橋(「鉄の橋百選」)の一つに挙げられているそうです。

右側に線路が敷かれていました。幅員が2.5mなので、路面電車と自動車がすれ違うのは無理だったことがわかりますが、自動車の少なかった時代はそれほど問題がなかったと思います。

「昭和54年」の名がありますが、これは軌道撤去などを行って改築された年を示しています。

リベット打ちが時代を感じさせます。

案内板が設置されていました。

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保原方向

こちらはJR伊達駅方向で中央が路線跡。
実はこの先にとある遺構が残されていますので行ってみました。

ポールが立っている陸橋が路線跡。

よく見ると変わった形の鉄柱が見えます。

この鉄柱は実は路面電車の架線柱です。
当時の写真を見ると左右対称の作りで、現在は左半分のみが残されています。

さびが年代を感じさせます。

廃レールを使った作りです。

ここで国道4号線とオーバーパスします。
現在は歩道橋がかかっていて、この先はかつて飯坂東線の駅があったJR伊達駅があります。

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