八戸臨海鉄道線(休止区間)(青森県)

◆2021年3月6日(土)撮影
 八戸臨海鉄道線(はちのへりんかいてつどうせん)は、八戸臨海鉄道が運営している青森県八戸市の八戸貨物駅と北沼駅を結ぶ鉄道路線(貨物線)である。

 八戸港に三菱製紙などの企業が進出、それらへの原料や製品輸送のために1966年開業した青森県営専用線を1970年にJR貨物(現在)・青森県・八戸市などが出資する第三セクター方式で運営される八戸臨海鉄道として開業。1980年代の鉄道貨物輸送の退潮に伴い接続する専用線の数が減少、現在は北沼駅から接続する三菱製紙八戸工場専用線のみになり、紙製品の輸送が主となっている。

この休止区間は、かつては、三沢市にある米軍基地への燃料輸送のために、河原木にある米軍油槽所への専用線が存在していたが、2006(平成18)年6月以降貨物列車の運行は無くなり、専用線も休止状態となっている。
Wikipediaより)

「国土地理院の電子地形図25000を掲載(2021年)」
国土地理院発行地形図の引用について
http://www.gsi.go.jp/LAW/2930-meizi.html

「この地図は、国土地理院発行の2.5万分の1地形図(八戸西部)(昭和54年発行)+2.5万分の1地形図(八戸東部)(昭和46年発行)を使用したものである。」
国土地理院発行地形図の引用について
http://www.gsi.go.jp/LAW/2930-meizi.html

昭和46年発行の地形図
本八戸駅高架化前の八戸臨海鉄道線。右側の本八戸駅(当時は八戸駅)側から分岐(白黒の破線で表記)していた。

昭和54年発行の地形図
本八戸駅高架化後の八戸臨海鉄道線。左の八戸駅側の馬淵川からの分岐(実線で表記)に変更されている。
@旧線区間
かつて本線は本八戸駅から分岐していたが、本八戸駅の高架化により長苗代駅方からの分岐に変更された。

上り(本八戸駅)方面
旧線部分はどこか不明だが、おそらく右側高架線(JR八戸線)脇が旧線跡と思われます。

下り(米軍油槽所)方面
右側の空き地の一部が旧線跡。
A

明瞭に残されている旧線跡で、当時の歩行者用踏切もなぜか残されています。

この踏切が残されたのは、おそらく自動車が進入できないようにするための柵として転用されたと思われます。

上り(本八戸駅)方面
現在は工場敷地になっています。

下り(米軍油槽所)方面
中央の道路ではなく、左側の自動車が止まっている空き地が旧線跡。
B

上り(本八戸駅)方面

下り(米軍油槽所)方面
C

上り(本八戸駅)方面

下り(米軍油槽所)方面

上り(本八戸駅)方面

下り(米軍油槽所)方面
DJR八戸線鉄橋との分岐点

上り(八戸貨物駅)方面
左がJR八戸線鉄橋、右が米軍油槽所専用線の鉄橋

下り(米軍油槽所)方面
左が米軍油槽所専用線の鉄橋、右がJR八戸線鉄橋。

JR八戸線鉄橋にある「八戸より4.5km地点」を示すキロポスト。
E本八戸駅貨物扱所
JR貨物の施設として、八戸市城下三丁目に「本八戸駅貨物扱所」がある。この本八戸駅貨物扱所は、八戸線長苗代駅〜本八戸駅間で分岐し、馬淵川沿いに500mほど北上する路線の終端にある。ただし2006年6月より貨物列車の発着はなくなり、休止されている。かつてはここへの路線は本八戸駅から分岐していたが、旅客駅の高架化により長苗代駅方からの分岐に変更された。なお分岐点より本八戸駅構内の扱いとなり、手前には場内信号機(本八戸方、貨物扱所方)が設置されている。
この貨物扱所から、馬淵川沿いにさらに北上する青森県営専用線が存在した。八戸港にあるこの路線の終点から、米軍油槽所へ至る専用線が分岐し三沢駅へ石油輸送貨物列車が運行されていた。さらに以前には、出光興産・新日本石油(現・JXTGエネルギー)・コスモ石油・ジャパンエナジー(現・JXTGエネルギー)の八戸油槽所への専用線もあり、航路継走石油輸送の拠点となっていたほか、大平洋金属八戸製作所への専用線もあった。
(Wikipediaより)

建物

風で錆びた「本八戸駅貨物取扱所」の看板。ここは本八戸駅の構内扱いとなっている証しです。

上り(八戸貨物駅)方面

下り(米軍油槽所)方面

隣接する公園にある新幹線の形をした建物。

トイレでした。訪問時は冬季でしたので封鎖されていました。

上り(八戸貨物駅)方面
たくさんの側線が往時を物語っています。

下り(米軍油槽所)方面
この先は線路が続きますが、草むらに覆われています。

レールの刻印を見てみると、「37AS <S> 1954 III OH」で
1954年3月製の富士製鉄のレールであることが分かります。
F

上り(八戸貨物駅)方面
まだこの区間は線路が残されています。

下り(米軍油槽所)方面
G踏切

上り(八戸貨物駅)方面

下り(米軍油槽所)方面
H高架下

上り(八戸貨物駅)方面

下り(米軍油槽所)方面

キロポスト(1)

キロポスト(2)
I

輪転機がそのまま残されています。

上り(八戸貨物駅)方面

下り(米軍油槽所)方面
J

上り(八戸貨物駅)方面

下り(米軍油槽所)方面
K

上り(八戸貨物駅)方面

下り(米軍油槽所)方面

おそらく信号機の土台と思われます。「1965-10」が見えますので、開業直前の1965(昭和40)年10月建築と思われます。

線路
L

上り(八戸貨物駅)方面

下り(米軍油槽所)方面

大平洋金属

この付近では近年、馬淵川の護岸工事がおこなわれました。

護岸工事のため線路が切断されていました。

撤去された線路と枕木が積まれていました。
M踏切

この区間から線路は残されていましたので、護岸工事区間だけの撤去のようです。

踏切設備は遮断棒が撤去されただけで、警報機はそのまま残っています。

上り(八戸貨物駅)方面

下り(米軍油槽所)方面
N

上り(八戸貨物駅)方面

下り(米軍油槽所)方面

鉄道用地の境界柱がありました。

表面には「工」の刻印が見えました。
O三角地第3踏切

上り(八戸貨物駅)方面

下り(米軍油槽所)方面

「三角地第3踏切 1K822M」

Mと同じく踏切設備は遮断棒が撤去されただけで、警報機はそのまま残っています。

「休止中」の看板。2006年休止から15年風雨や海風にさらされだいぶ文字がかすれ、時代の流れを感じます。
P米軍油槽所

上り(八戸貨物駅)方面

下り(米軍油槽所)方面

写真左から右へと引込線の跡が見えます。

この先へと専用線が続いていました。

警告看板。この先は米軍基地なので厳重な警備がされています。

さすがは軍事基地だけあって、重要な部分は目隠しされています。あまりうろうろして怪しまれるのを避けるため短時間でこの場を去りました。
Q終点

右には留置線があったものと思われます。

終点。

この先、かつては突き当りの馬淵川河口まで専用線が伸びていました。

この先の専用線跡は現在、空き地になったり、会社敷地になっています。

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