◆東日本大震災の鉄道被害について(その2)(岩手県)◆

◆2011年5月31日(火)撮影(一部2012年8月17日(金)撮影)
 前回は(4月2日)は青森県太平洋岸に住んでいる親戚に会いに行くため、青森県八戸市から沿岸部を走る国道45号線を南下して、岩手県宮古市手前の岩泉町小本地区まで行き、そこから盛岡市に通じる国道を走って帰るという行程でした。

 今回はJR山田線の釜石〜宮古間を見て回るのが目的で、所用で遠野市へ行ったのち、釜石市経由で沿岸を通る国道45号線をひたすら北上して宮古市に向かい、その後国道106号線を使って盛岡市に戻るという行程でした。

 去年6月に山田線めぐりのために岩手県沿岸部を訪れていたんですが、改めてこの変わりように絶句。震災前の写真と後の写真を比較のため掲載してみました。 震災から2月半が過ぎて、市街地の倒壊した建物のがれき撤去が最優先されているためか、鉄道については、被害の受けたところでは線路の撤去はされていたものの、鉄道の復旧工事は後回しの状況でした。
JR山田線
山田線は、山岳部を走る盛岡〜宮古間と、太平洋沿岸部を走る宮古〜釜石間の二つに分けられ、今回の震災の被害は沿岸部に集中しています。
両石駅
両石駅は、隣接する集落の高台にあります。今回の津波では駅施設には被害はないようでしたが、集落は甚大な被害を被りました。
この両石地区は、山と海に挟まれた狭い平坦部にひらけた集落のため津波の直撃を受け、建物がほとんど流されてしまいました。
鵜住居駅

(2010年6月12日(土)撮影)

土砂とがれきで埋まったままでした。
(2011年5月31日(火)撮影)

土砂とがれきは撤去されていました。
(2012年8月17日(金)撮影)

釜石方向を撮影。
(2010年6月12日(土)撮影)

連絡通路の屋根は津波によって甚大な被害を受け、その後に危険防止のために撤去されたようです。
(2012年8月17日(金)撮影)
大槌駅
左の写真は震災前の2010年6月12日(土)に撮影。

骨組みは跨線橋のあと。
浪板海岸駅付近の陸橋
ここは高台に駅と線路があるんですが、この高さ以上の津波が押し寄せ、橋げたが流されていました。 どうやらホーム下まで浸水したようです。

写真左側が海岸。津波はこの駅を乗り越えて右側まで達していました。
織笠駅
以前(2011年5月31日(火))に訪れたときは付近が通行止めとなっていたので立ち入ることは出来ませんでしたが、今回ようやく訪れることが出来ました。
左が震災前の2010年6月12日(土)撮影、右が震災後の2012年8月17日(金)撮影です。

待合室は津波によって流されたそうです。

上り(宮古方向)を撮影。路盤が完全に消失していました。

下り(釜石方向)を撮影。こちらも路盤が完全に消失していました。

上にあるのが駅ホーム。盛り土をしていた路盤が完全に消失していて、津波の破壊力のすさまじさを見せつけられました。
(2012年8月17日(金)撮影)
陸中山田駅
左の写真は震災前の2010年6月12日(土)に撮影。地震と津波後、この一帯は火災に見舞われました。
津軽石駅に放置された車両
津軽石駅では津波に流された電車がありました。
この列車は、盛岡発(11:00発)釜石経由(13:41発)宮古行(14:58着)の1647Dで、車両はキハ100-9とキハ100-12の2両編成。津軽石駅を発車しようとしたところ(14:46発)で地震に遭遇。後に津波に襲われて脱線しましたが、乗客・乗員は事前に安全なところに避難していて無事だったそうです。この脱線車両は7月14日に撤去されたそうです。

駅舎自体は一見すると無事のように見えますが、建物の中は散らかり、壁には浸水の跡がくっきりと残されていました。ここでは、大人の身長で肩程度の高さの津波が押し寄せました。


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