◆JR上越線(群馬県・新潟県)◆

◆2014年10月3日(金)撮影
(概要)
 高崎線の終着駅高崎駅より利根川沿いに群馬県内を北上し、三国山脈を超えて新潟県に入り、中越地方の魚野川・信濃川沿いに六日町盆地などを経て長岡市に至る鉄道路線。終点の宮内駅では信越本線に接続する。後閑駅〜越後湯沢駅間を除き国道17号とほぼ並走する。 路線名の由来は、上州(現在の群馬県)と越後(現在の新潟県本土)を結ぶことに由来する。なお、新潟県には上越市やそれを含む上越地方があるが、上越の由来が異なり、上越線は上越市はおろか上越地方すら通らない。新潟県の上越線沿線は全域が中越地方である。

 現在は、横須賀線および湘南新宿ラインの走行ルートの一部とされており、東日本旅客鉄道(JR東日本)が第一種鉄道事業者、日本貨物鉄道(JR貨物)が第二種鉄道事業者となっている。

(歴史)
 関東と新潟を短絡する鉄道として計画されたもので、1920(大正9)年には新潟県側の上越北線(じょうえつほくせん)宮内(長岡)〜東小千谷間、1921(大正10)年には群馬県側の上越南線(じょうえつなんせん)新前橋〜渋川間が開業した。両線は順次延長され、1925(大正15)年には北線が越後湯沢まで、1928(昭和3)年に南線が水上まで開業している。
 なお上越線の開業以前より、1893(明治26)年には高崎〜渋川間に群馬馬車鉄道が、1911(大正元)年には渋川〜沼田間に利根軌道、新来迎寺〜小千谷間に魚沼鉄道がそれぞれ開業していたが、群馬馬車鉄道は路面電車化されて最終的に東武鉄道の高崎線となった後1953(昭和28)年廃止、利根軌道は路面電車化され東京電燈の所有路線となった後に上越線の開業により1924(大正14)年休止・1925(大正15)年廃止、魚沼鉄道は国有化されて魚沼線になったものの1981(昭和56)年に特定地方交通線に指定され1984(昭和59)年に廃線となっている。
 三国山脈が立ちはだかる県境の水上〜越後湯沢間は、全長9,702mの清水トンネルをはじめとしてその前後に2つのループトンネルを有する山岳路線であり、同区間が開通し上越線が全通するのは1931(昭和6)年のことである。この区間は長大トンネルを有するので、運転の保安上から水上〜石打間が開業当初より直流電化され、電気機関車の牽引により運転された。太平洋戦争後の1947年には、高崎 〜長岡間の電化が完成している。

 1960年代は、東京と日本海側を結ぶ主要幹線として複線化による輸送力増強が進められ、1967(昭和42)年に湯檜曽〜土樽間に新清水トンネルが開通して、全線の複線化が完了した。1982(昭和57)年の上越新幹線開業を境に、上越線は東京〜新潟間の都市間広域輸送の役目を新幹線に譲り、一部の列車をのぞいて地域輸送と貨物輸送が主力となる。

 当線が開通する以前、関東と新潟県を結ぶ鉄道ルートは「高崎線・信越本線ルート」と「東北本線・磐越西線ルート」の二つがあった。しかし、いずれも関東と新潟を直線的に結ぶルートではないうえ、信越本線には碓氷峠の急峻な勾配があり時間的ロスを生じていた。こうした中、上越国境の茂倉岳直下を清水トンネルで越える短絡経路として、上越線が建設された。このうち、水上駅〜石打駅間は最急勾配20‰で建設され、当初から電化された区間である。 1931(昭和6)年の開業当初、それまで上野駅〜新潟駅間は信越本線経由の急行列車で11時間6分を要していたのが、新設された上越線経由の急行列車は7時間10分で結び、一挙に4時間の所要時間短縮が図られた。上越新幹線の開業後は首都圏と新潟との都市間輸送の役割を新幹線に譲り、全線を直通する旅客列車は夜行列車などわずかとなったが、首都圏と新潟・北陸・庄内・秋田方面とを結ぶ貨物列車が通る幹線という側面を持っており、今もなおその重責を担う。また、首都圏と青森・北海道方面とを結ぶルートとしても、奥羽本線の一部と田沢湖線がミニ新幹線化(標準軌化)され、東北本線盛岡駅以北がいわて銀河鉄道線・青い森鉄道線に転換されてからは高崎線・上越線・信越本線・羽越本線・奥羽本線ルートがJRのみを経由する唯一の幹線ルートであり、東北本線不通時の長距離列車・貨物列車の唯一の迂回路としての機能も担っている。

高崎線7番線ホーム下にある駅中心。上越線は高崎線のキロ程を受け継いでいるためか、0キロポストは存在しない。
駅名・信号場名 駅間
営業
キロ
累計
営業
キロ
所在地 開業日
(漢字表記) (よみ)
高崎駅たかさき - 0.0

高崎市 1884(明治17)年5月1日
※高崎線の駅として
高崎問屋町駅たかさきとんやまち 2.8 2.8 2004(平成16)年10月16日
井野駅いの 1.2 4.0 1948(昭和23)年12月25日
新前橋駅しんまえばし 3.3 7.3 前橋市 1921(大正10)年7月1日
群馬総社駅ぐんまそうじゃ 4.8 12.1 1921(大正10)年7月1日
八木原駅やぎはら 5.6 17.7 渋川市 1921(大正10)年7月1日
渋川駅しぶかわ 3.4 21.1 1921(大正10)年7月1日
敷島駅しきしま 6.4 27.5 1924(大正13)年3月31日
津久田駅つくだ 3.0 30.5 1948(昭和23)年1月1日
岩本駅いわもと 5.8 36.3 沼田市 1924(大正13)年3月31日
沼田駅ぬまた 5.1 41.4 1924(大正13)年3月31日
後閑駅ごかん 5.2 46.6 利根郡
みなかみ町
1926(大正15)年11月20日
上牧駅かみもく 7.1 53.7 1928(昭和3)年10月30日
水上駅みなかみ 5.4 59.1 1928(昭和3)年10月30日
湯檜曽駅ゆびそ 3.6 62.7 1931(昭和6)年9月1日
土合駅どあい 6.6 69.3 1936(昭和11)年12月19日
土樽駅つちたる 10.8 80.1

南魚沼郡
湯沢町
1933(昭和8)年12月8日
越後中里駅えちごなかさと 7.3 87.4 1931(昭和6)年9月1日
岩原スキー場前駅いわっぱらすきーじょうまえ 3.7 91.1 1933(昭和8)年12月8日
越後湯沢駅えちごゆざわ 3.1 94.2 1925(大正14)年11月1日
石打駅いしうち 6.4 100.6 南魚沼市 1925(大正14)年11月1日
大沢駅おおさわ 4.0 104.6 1949(昭和24)年5月28日
上越国際スキー場前駅じょうえつこくさいすきーじょうまえ 1.0 105.6 1997(平成9)年12月27日
塩沢駅しおざわ 2.3 107.9 1923(大正12)年11月18日
六日町駅むいかまち 3.9 111.8 1923(大正12)年11月18日
五日町駅いつかまち 6.6 118.4 1923(大正12)年11月18日
浦佐駅うらさ 5.5 123.9 1923(大正12)年9月1日
八色駅やいろ 3.1 127.0 1965(昭和40)年1月15日
小出駅こいで 5.2 132.2 魚沼市 1923(大正12)年9月1日
越後堀之内駅えちごほりのうち 2.5 134.7 1922(大正11)年8月1日
北堀之内駅きたほりのうち 3.4 138.1 1950(昭和25)年2月15日
越後川口駅えちごかわぐち 4.7 142.8 長岡市 1921(大正10)年8月5日
小千谷駅おぢや 6.6 149.4 小千谷市 1920(大正9)年11月1日
越後滝谷駅えちごたきや 7.2 156.6 長岡市 1920(大正9)年11月1日
宮内駅みやうち 6.0 162.6 1898(明治31)年12月27日
※信越本線の駅として
支線
越後湯沢駅えちごゆざわ - 0.0

南魚沼郡
湯沢町
1925(大正14)年11月1日
(臨)ガーラ湯沢駅がーらゆざわ 1.8 1.8 1990(平成2)年12月20日

年表
高崎駅〜新前橋駅間(両毛線)
1884(明治17)年8月20日 日本鉄道 高崎駅〜前橋駅間が延伸開業。
1906(明治39)年11月1日 日本鉄道が国有化。
1909(明治42)年10月12日 線路名称設定により、小山駅〜高崎駅間が両毛線となる。
1921(大正10)年7月1日 上越南線開業に伴い、新前橋駅が開業。
1931(昭和6)年9月1日 上越線全通に伴い、新前橋駅〜高崎駅間が両毛線・上越線に属する二重戸籍区間になる。
1957(昭和32)年12月20日 両毛線の終点が新前橋駅に変更。新前橋駅〜高崎駅間の二重戸籍解消。
新前橋駅〜水上駅間(上越南線)
1921(大正10)年7月1日 上越南線 新前橋駅〜渋川駅間が開業。新前橋駅・群馬総社駅・八木原駅・渋川駅が開業。
1924(大正13)年3月31日 渋川駅〜沼田駅間が延伸開業。敷島駅・岩本駅・沼田駅が開業。
1926(大正15)年11月20日 沼田駅〜後閑駅間が延伸開業。後閑駅が開業。
1928(昭和3)年10月30日 後閑駅〜水上駅間が延伸開業。上牧駅・水上駅が開業。
宮内駅〜越後湯沢駅間(上越北線)
1920(大正9)年11月1日 上越北線 宮内駅〜東小千谷駅間が開業。六日市駅(現在の越後滝谷駅)・東小千谷(現在の小千谷駅)が開業。
1921(大正10)年8月5日 東小千谷駅〜越後川口駅間が延伸開業。越後川口駅が開業。
1922(大正11)年8月1日 越後川口駅〜越後堀之内駅間が延伸開業。越後堀之内駅が開業。
1923(大正12)年9月1日 越後堀之内駅〜浦佐駅間が延伸開業。小出駅・浦佐駅が開業。
1923(大正12)年11月18日 浦佐駅〜塩沢駅間が延伸開業。五日町駅・六日町駅・塩沢駅が開業。
1925(大正14)年10月1日 六日市駅が越後滝谷駅に改称。
1925(大正14)年11月1日 塩沢駅〜越後湯沢駅間が延伸開業。石打駅・越後湯沢駅が開業。
全通以後
1931(昭和6)年9月1日 水上駅〜越後湯沢駅間延伸開業(清水トンネル開通)し全通。上越南線が上越北線を編入し、上越線に改称。同時に起点を高崎駅に変更、同区間は両毛線との二重戸籍区間となる。湯檜曽駅・越後中里駅が開業。土合信号場・土樽信号場が開設。水上駅〜石打間が電化。
1932(昭和7)年8月1日 東小千谷駅が小千谷駅に改称。
1933(昭和8)年12月8日 岩原スキー場前仮乗降場が開業。
1936(昭和11)年12月19日 土合信号場が駅に変更され、土合駅が開業。
1941(昭和16)年1月10日 土樽信号場が駅に変更され、土樽駅が開業。
1943(昭和18)年5月15日 土合駅〜土樽駅間に茂倉信号場が開設。
1943(昭和18)年10月1日 敷島駅〜岩本駅間に津久田信号場が開設。
1943(昭和18)年11月10日 石打駅〜大沢駅間に越後大沢信号場が開設。
1944(昭和19)年9月25日 越後川口駅〜小千谷駅間に越後山辺信号場が開設。
1944(昭和19)年9月20日 越後堀之内駅〜越後川口駅間に越後下島信号場が開設。
1944(昭和19)年10月11日 高崎駅〜新前橋駅間に井野信号場、後閑駅〜上牧駅間に下牧信号場が開設。
1946(昭和21)年 岩原スキー場前仮乗降場が廃止。
1947(昭和22)年4月1日 高崎駅〜水上駅間が電化。
1947(昭和22)年10月1日 石打駅〜宮内駅(〜長岡駅)間が電化。
1948(昭和23)年1月1日 津久田信号場が駅に変更され、津久田駅が開業。
1949(昭和24)年5月28日 越後大沢信号場が駅に変更され、大沢駅が開業。
1949(昭和24)年7月11日 越後山辺信号場が廃止。
1949(昭和24)年12月20日 大穴仮乗降場(冬季のみ営業)が開業。
1950(昭和25)年2月15日 越後下島信号場が駅に変更され、北堀之内駅が開業。
1952(昭和27)年12月20日 岩原スキー場前仮停車場が開業。
1957(昭和32)年12月20日 両毛線終点変更に伴い、新前橋駅〜高崎駅間の二重戸籍が解消。井野信号場が駅に変更され、井野駅が開業。高崎駅〜新前橋駅間が複線化。
1961(昭和36)年3月29日 新前橋駅〜群馬総社駅間が複線化。
1962(昭和37)年11月29日 小千谷駅〜越後滝谷駅間に妙見信号場が開設。妙見駅〜越後滝谷駅間が複線化。
1963(昭和38)年2月7日 群馬総社駅〜八木原駅間が複線化。
1963(昭和38)年3月10日 大穴仮乗降場が廃止。
1963(昭和38)年8月2日 八木原駅〜渋川駅間が複線化。
1963(昭和38)年11月5日 浦佐駅〜小出駅間が複線化。
1963(昭和38)年12月5日 水上駅〜湯檜曽駅間に新湯檜曽信号場が開設。水上駅〜新湯檜曽信号場間が複線化。
1963(昭和38)年12月16日 岩本駅〜沼田駅間が複線化。
1963(昭和38)年12月20日 津久田駅〜岩本駅間が複線化。
1964(昭和39)年3月18日 渋川駅〜敷島駅間が複線化。
1964(昭和39)年9月18日 敷島駅〜津久田駅間が複線化。
1964(昭和39)年9月24日 越後中里駅〜越後湯沢駅間が複線化
1964(昭和39)年9月30日 土樽駅〜越後中里駅間が複線化。
1964(昭和39)年11月20日 越後川口駅〜小千谷駅間に山辺信号場が開設。山辺信号場〜小千谷駅間が複線化。
1964(昭和39)年11月30日 越後湯沢駅〜石打駅間に赤坂信号場が開設。越後湯沢駅〜赤坂信号場間が複線化。
1965(昭和40)年1月15日 八色駅が開業。
1965(昭和40)年7月8日 赤坂信号場〜石打駅間が複線化。赤坂信号場が廃止。
1965(昭和40)年7月13日 沼田駅〜後閑駅間が複線化。
1965(昭和40)年9月28日 六日町駅〜五日町駅間が複線化。
1966(昭和41)年7月20日 後閑駅〜上牧駅間が複線化。下牧信号場が廃止。
1966(昭和41)年9月16日 五日町駅〜浦佐駅間が複線化。
1966(昭和41)年9月23日 越後滝谷駅〜宮内間に下条信号場が開設。越後滝谷駅〜下条信号場間が複線化。
1966(昭和41)年9月25日 石打駅〜大沢間が複線化。
1966(昭和41)年9月27日 上牧駅〜水上駅間が複線化。
1966(昭和41)年9月29日 越後堀之内駅〜北堀之内駅間が複線化。
1966(昭和41)年11月22日 北堀之内駅〜越後川口駅間が複線化。
1967(昭和42)年7月4日 越後川口駅〜山辺信号場間が複線化。山辺信号場が廃止。
1967(昭和42)年9月1日 小千谷駅〜妙見駅間が複線化。妙見信号場が廃止。
1967(昭和42)年9月8日 小出駅〜越後堀之内駅間が複線化。
1967(昭和42)年9月13日 大沢駅〜六日町駅間が複線化。
1967(昭和42)年9月21日 下条信号場〜宮内駅間が複線化。下条信号場が廃止。
1967(昭和42)年9月28日 新清水トンネル開通により、湯檜曽駅〜土樽駅間が複線化。湯檜曽駅が新湯檜曽信号場の地点へ移転。新湯檜曽信号場が廃止。旧湯檜曽駅の地点に北湯檜曽信号場が開設。
1969(昭和44)年10月1日 岩原スキー場前仮停車場が臨時乗降場に変更。
1982(昭和57)年11月15日 上越新幹線 大宮駅〜新潟駅間が開業(高崎駅〜上毛高原駅〜長岡間は上越線の別線扱い)。上毛高原駅が開業。
1984(昭和59)年11月1日 茂倉信号場が廃止。
1984(昭和59)年11月8日 北湯檜曽信号場が廃止。
国鉄分割民営化以降
1987(昭和62)年4月1日 国鉄分割民営化により、全線を東日本旅客鉄道が継承。日本貨物鉄道が第二種鉄道事業者となる。岩原スキー場前臨時乗降場が駅に変更され、岩原スキー場前駅が開業。
1990(平成2)年12月20日 支線 越後湯沢駅〜ガーラ湯沢駅間が開業。ガーラ湯沢駅が開業。
1997(平成9)年12月27日 上越国際スキー場前駅(臨時駅)が開業。
2003(平成15)年4月1日 上越国際スキー場前駅が通年営業化。
2004(平成16)年10月16日 高崎問屋町駅が開業。新前橋駅〜渋川駅間が東京近郊区間になり、Suicaのサービスエリアになる。
2004(平成16)年10月23日 新潟県中越地震により、水上駅〜宮内駅間が不通となる。
2004(平成16)年11月2日 水上駅〜六日町駅間の運行再開。六日町駅〜小出駅間でバス代行輸送開始。
2004(平成16)年11月8日 バス代行輸送区間が六日町駅〜越後堀之内駅間に変更。
2004(平成16)年11月11日 小千谷駅〜長岡駅間でバス代行輸送開始。
2004(平成16)年11月13日 六日町駅〜小出駅間で運行再開。小出駅〜長岡駅間はバス代行輸送継続。
2004(平成16)年12月27日 。越後川口駅〜越後滝谷駅間は上り線を使った単線運転により、全線で運転再開。タブレット閉塞で運転(夜行列車と一部の列車は運休)。小出駅〜宮内駅間で速度制限を行い、臨時ダイヤで運行。このとき、単線・複線を切り替える際のポイントはスプリングポイントを使用した。
2005(平成17)年1月31日 速度制限が緩和(小出駅〜越後川口駅間と越後滝谷駅〜宮内駅間:45km/h→65km/h、小千谷駅〜越後滝谷駅間:30km/h→45km/h)。
2005(平成17)年3月25日 越後川口駅〜越後滝谷駅間の下り線も復旧し、複線運転が再開[13]。運休中の夜行列車も運転再開。速度制限は継続。
2005(平成17)年4月11日 小出駅〜越後川口駅間と越後滝谷駅〜宮内駅間の速度制限が解除。越後川口駅〜越後滝谷駅間の上り線は45km/h→65km/hに緩和。
2005(平成17)年4月28日 越後川口駅〜越後滝谷駅間の上り線の速度制限が解除。越後川口駅〜越後滝谷駅間の下り線は45km/h→65km/hに緩和。
2005(平成17)年6月16日 速度制限が解除。
2009(平成21)年3月14日 渋川駅〜水上駅間が東京近郊区間になり、Suicaのサービスエリアになる。
2011(平成23)年7月28日 集中豪雨のため水上駅〜宮内駅間が運休。
2011(平成23)年7月31日 水上駅〜越後湯沢駅間で運行再開。越後湯沢駅〜宮内駅間は豪雨による路盤流出で不通になる。
2011(平成23)年8月2日 小出駅〜宮内駅間で運行再開。
2011(平成23)年8月4日 六日町駅〜小出駅間で運行再開。
2011(平成23)年8月13日 越後湯沢駅〜六日町駅間が復旧し、全線で運行再開。上越線が不通となっていた間、寝台特急「あけぼの」・臨時快速「ムーンライトえちご」が運休した。また、特急「はくたか」も本来の越後湯沢駅発着から信越本線経由で長岡駅の発着に変更された。寝台特急「あけぼの」は8月10日から北上線経由で運転を再開、8月13日から「はくたか」が越後湯沢駅発着、「あけぼの」が所定の上越線経由での運転を再開した。
2014(平成26)年4月1日 小千谷駅〜宮内駅が新潟近郊区間になり、小千谷駅、宮内駅がSuicaのサービスエリアになる。
wikipediaより参照
TOP旅の記録路線各駅巡礼写真のページ>JR上越線(群馬県・新潟県)