高倉線は内郷駅から北西に分岐し、内郷宮町峰根までの全長2.91kmの路線で、鉱山従業員とその家族の送迎のために電車線も併設されていた。 1899(明治32)年11月30日:開業(軌間1067mm)。 1921(大正10)年:電車線開通(軌間762mm) 1958(昭和33)年:電車線廃止 1966(昭和41)年:町田停留所以遠が廃止され、全長2.06kmとなる。 1972(昭和47)年6月24日:廃止。 (常磐炭について) 常磐炭は、亜瀝青炭と褐炭が多く、北海道や九州の石炭と比べて品質はおちるいわゆる低品位炭であり、さらに地層が激しい褶曲を受けているため、石炭層を求めて地下へとひたすら掘り下げる、高い掘削技術を要する炭鉱であった。地下水が多く、温泉も湧き出すため坑内は暑く過酷な環境で、1tの石炭を採掘するのに4t程度の地下水が湧き出すともいわれ(常磐炭鉱記録映画による)当時世界最大級の排水ポンプを並べるなど採炭コストも高かった。しかし、大工業地帯である京浜地区に近いことから戦前より需要が高く大鉱業地帯として発達した。 しかし、第二次世界大戦後の1960年代のいわゆる特にエネルギー革命と高度経済成長が起こると慢性的なコスト増で産出資源の競争力が失われた。更にマッチ用の燐、化学工業原料や火薬などの用途があった副産物の硫黄資源も、技術革新により石油の脱硫処理から硫黄がより容易に生産されるようになり、市場から駆逐された。各鉱は採算が次第に悪化。最後まで残った常磐炭礦(1970年より常磐興産)の所有する鉱山も1976年(昭和51)年に閉山し、常磐興産は炭鉱業自体も1985(昭和60)年に撤退した。 (Wikipediaより) |
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「国土地理院の電子地形図25000を掲載(2020年)」 国土地理院発行地形図の引用について http://www.gsi.go.jp/LAW/2930-meizi.html |
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「この地図は、国土地理院発行の5万分の1地形図(平)(昭和32年発行)を使用したものである。」 国土地理院発行地形図の引用について http://www.gsi.go.jp/LAW/2930-meizi.html |
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@分岐点 | |
内郷駅北側。宅地化が進んで路線跡の痕跡がありませんでしたが、ここで左側に分岐していたと思われます。 |
峰根坑側。左に見えるのが内郷駅。 |
A | |
内郷駅側。中央の生活道路が路線跡で、この先は宅地化が進んで行き止まりとなっています。 |
峰根坑側 |
B榎下橋 | |
内郷駅側 橋台が残されています。 |
峰根坑側 こちら側にも橋台が残されています。 |
橋の銘板(1) |
橋の銘板(2) |
橋付近に残されているコンクリート製の枕木のようなもの。この路線の物なのかは不明です。 |
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CスーパーマーケットMARUTO付近 | |
内郷駅側 写真左側が路線跡。 |
峰根坑側 県道に並行して路線が延びていたそうですので、写真右側が路線跡と思われます。 |
D | |
内郷駅側 |
峰根坑側 路線跡は県道から離れ、右側に逸れていきます。右側駐車場が路線跡。 |
E | |
内郷駅側 |
峰根坑側 |
F金坂橋 | |
内郷駅側 左側に見えるのが路線跡の橋台と橋脚。何かの配管の架台として再利用されています。 |
峰根坑側 |
内郷駅側 左側に見える2つの橋脚が路線跡。左側が専用鉄道、右が電車軌道のもの。 |
峰根坑側 左側の橋脚が電車軌道、右側が専用鉄道。 |
G常磐炭鉱住吉坑水中選炭場跡 | |
水中選炭場とは、石炭を水に入れ比重を利用して、良質炭や不純物などに選り分けを行う施設。 |
現状はかなり自然に帰りつつあるようです。 |
石炭積込場跡は駐車場として再利用されている。 |
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Hグランド前停留所 | |
内郷駅側 |
峰根坑側 写真中央奥付近が停留所跡のようです。 |
I内郷第二中学校付近 | |
内郷駅側 |
峰根坑側 |
J橋台跡 | |
小川に残る橋台です。 |
軌間の広い左側が専用鉄道(狭軌:1067mm、JR路線と同じ)、右側の狭いものが電車軌道(762mm:かつての軽便鉄道と同じ)。 |
K | |
内郷駅側 この区間は、生活道路として残されています。 |
峰根坑側 |
L専用鉄道橋台跡 | |
専用列車の橋台が残されています。 |
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右側にあるはずの電車軌道の橋台は残されていませんでした。廃止が専用鉄道より早かったため撤去されたのか、それとも貨物列車の重量を支えるために堅牢に作られた専用列車橋台よりも比較的堅牢でなかったために撤去しやすかったのか理由は不明です。 |
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M | |
内郷駅側 この区間ではいったん離れた県道と再び合流して県道沿いを走ります。 |
峰根坑側 |
N町田坑付近 | |
内郷駅側 |
峰根坑側 左側の建物の下の法面にはかつて石炭を積み込みするためのホッパーがあったそうです。またこの付近は電車軌道の終点である町田停留所があり、この先は1966(昭和41)年に廃止になる専用鉄道区間となります。 |
O | |
内郷駅側 |
峰根坑側 写真右側へと路線跡が分かれます。 |
P | |
内郷駅側 |
峰根坑側 |
Q | |
ここで川を渡りますが、橋台や橋脚といった遺構は確認できませんでした。 |
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R峰根(ほうね)坑石炭積込所跡(終点) | |
ここが内郷線の終点。道路左側にはレンガ積み基礎、右側にはコンクリート製の遺構が残されています。 |
レンガ積み基礎とコンクリート製の遺構の上には木製の石炭積込場が建てられていました。 |
煉瓦は鉄道施設によく用いられたイギリス積みです。 |