◆JR烏山線(栃木県)◆

◆2026年2月4日(水)撮影
(概要)
 烏山線(からすやません)は、栃木県塩谷郡高根沢町の宝積寺駅と同県那須烏山市の烏山駅を結ぶ、東日本旅客鉄道(JR東日本)の鉄道路線(地方交通線)である。東北本線(宇都宮線)の宝積寺駅からほぼ東方へ延びており、宝積寺駅から同線に乗り入れて宇都宮駅との間で直通運転を行っている。
 沿線のある地元や利用者から「からせん」の愛称や略称で呼ばれることもある。
 沿線に「宝積寺(ほうしゃくじ)」「大金(おおがね)」という縁起の良いとされる名前の駅があり、駅が8駅であることから、七福神をキャラクターとして、宝積寺駅を除く各駅に各尊を割り当てて看板(駅名標ではない)などを整備している。なお、宝積寺駅の看板には全尊が当線の車両に乗る姿が描かれている。
 旅客営業規則の定める「東京近郊区間」に指定されているが、当線区内の7駅はIC乗車カード「Suica」の利用対象外となっている。自動改札機は宇都宮線との接続駅である宝積寺駅を含め設置されていない。

(歴史)
常野鉄道と烏山人車鉄道
 現在の烏山線の路線敷設計画に至る以前の1894(明治27)年、烏山町の島崎善平等は、多雨期の鬼怒川は水害の危険が高いと考え、これを渡る日本鉄道奥州線(後の東北本線)長久保駅に接続するルートではなく、現在の水戸線川島駅に至る「常野鉄道」の開設を当時の栃木県知事佐藤暢に願い出た。常野鉄道構想は実現せず、その後、奥州線が東に移設され宝積寺駅が開業したため、烏山の小林初太郎と宝積寺の矢口縫太郎が中心となって「烏山人車鉄道会社」を設立し、烏山と宝積寺を結ぶ人車鉄道開設を求めることとなった。資金も集めて準備も進められたが、この計画も実現しなかった。

烏宝軽便鉄道
 1911(明治44)年3月15日、烏山町の島崎善平らは『烏山宝積寺間軽便鉄道敷設請願書』を鉄道院総裁の後藤新平に提出、同年8月21日には『軽便鉄道敷設に付き請願』が鉄道院の新総裁となった原敬に提出されるなど、烏山と宝積寺を結ぶ軽便鉄道の敷設願いが政府に再三提出された。この『軽便鉄道敷設に付き請願』は単に烏山と宝積寺を結ぶ支線としての計画ではなく、常野を横断し常磐線と東北本線を結ぶ路線計画であったことから、帝国議会衆議院議員の江原節らが議会で審議し、遂に1912(明治45)年2月28日、宝積寺駅から烏山に至る軽便鉄道が議会で可決された。地元では烏宝軽便鉄道の期成同盟会が立ち上げられたが、日露戦争以来の政府の資金不足から国の建設認可が下りず、第一次世界大戦に伴う好景気で国の手でようやく建設されることになり、1921(大正10)年1月10日に工事を落札した坂本佐吉によって宝積寺〜文狭間で建設工事が着手された。烏山側では依然として工事が始まらなかったため地元住民が再三懇願に上京しようとしていた矢先に鉄道省技師等が烏山を訪れ、ようやく工事が開始されることとなった。 こうした紆余曲折を経て、1923(大正12)年にようやく開通。地元では新聞、銀行、旅館などが烏宝線(うほうせん)と表示する時刻表を作り報道したが、鉄道省関係の資料では建設時から「烏山線」とされ、営業開始時の正式路線名も「烏山線」とされて現在に至っている。開通日は鉄道省告示により1923(大正12)年4月15日とされたが、実際には北白川宮成久王が薨去したため開通式は5月1日に変更された。開通式には各界の名士が参列したほか、地元住民も大勢が参加してたいへん賑わい、当日の烏山駅利用者は午後3時までに乗降者2千7百人を超えた。

廃止の回避
 JRの前身である日本国有鉄道(国鉄)が運営していた1960(昭和35)年5月に国鉄関東支社評議員会より不採算であるとして、バス転換が答申された。1968(昭和43)年には「赤字83線」に選定され廃止対象とされた。その後、1970(昭和45)年の日本国有鉄道諮問委員会報告書で報告された全国鉄路線各線の収支係数が公表され、近隣他路線との比較で烏山線は、日光線・両毛線・水戸線よりは悪いが、水郡線・鹿島線・相模線・鶴見線よりも良く、吾妻線・川越線・東金線とほぼ同等であることが判明し、烏山線は存続となり、以後は特定地方交通線にも選定されず現在に至っている。
Wikipediaより)



宝積寺駅にある烏山線のゼロキロポスト。
(2026年2月4日(水)宝積寺駅にて撮影)

JR東北本線(中央)と烏山線(右)との分岐点。
(2026年2月4日(日)宝積寺駅にて撮影)
電化
状況
駅名・信号場名 駅間
営業
キロ
累計
営業
キロ
所在地 開業日
(漢字表記) (よみ) 対応する
七福神
直流
電化
宝積寺駅ほうしゃくじ七福神 - 0.0

塩谷郡
高根沢町
1899(明治32)年10月21日
※東北本線の駅として開業


下野花岡駅 しもつけはなおか 寿老人 3.9 3.9 1934(昭和9)年8月15日
仁井田駅 にいた 布袋尊 2.0 5.9 1923(大正12)年4月15日
鴻野山駅 こうのやま 福禄寿 2.4 8.3 那須
烏山市
1934(昭和9)年8月15日
大金駅 おおがね 大黒天 4.4 12.7 1923(大正12)年4月15日
小塙駅 こばな 恵比寿神 2.6 15.3 1934(昭和9)年8月15日
滝駅 たき 弁財天 2.2 17.5 1954(昭和29)年6月1日
電化烏山駅からすやま毘沙門天 2.9 20.4 1923(大正12)年4月15日

年表
1923(大正12)年4月15日 宝積寺駅〜烏山駅間 (20.4km) が開業。これに伴い、熟田(にいた)駅、大金駅、烏山駅が開業。
1925(大正14)年4月1日 熟田駅が仁井田駅に改称。
1934(昭和9)年8月15日 気動車の運行を開始(宝積寺駅〜烏山駅間)。下野花岡駅、鴻野山駅、小塙駅が開業。
この頃、宇都宮駅直通列車の運転が定着(同年12月1日改定の時刻表では上り10本中、7本が宇都宮駅行きとなった)。
1941(昭和16)年8月10日 下野花岡駅、鴻野山駅、小塙駅に停車する列車が、朝夕の通勤時間帯のみとなる。
1954(昭和29)年6月1日 滝駅が開業。
1960(昭和35)年7月 蒸気機関車(SL)での運用が廃止。
1979(昭和54)年6月1日 全線の貨物営業が廃止。
1979(昭和54)年6月2日 キハ40形気動車の運行を開始。
1979(昭和54)年7月1日 宝積寺駅〜仁井田駅間 (5.9km) の貨物営業を開始。
1979(昭和54)年7月22日・23日 行き先を事前には公表しないミステリー列車として「銀河鉄道999号」が、上野駅から烏山駅の間で運行。
1984(昭和59)年3月14日 宝積寺駅〜仁井田駅間の貨物営業が廃止。
1987(昭和62)年4月1日 国鉄分割民営化に伴い、東日本旅客鉄道(JR東日本)に承継。
1990(平成2)年12月1日 下野花岡駅の読みを「しもずけはなおか」から「しもつけはなおか」に変更。
1990(平成2)年3月10日 全線でワンマン運転を開始。
1993(平成5)年7月24日 「七福神列車」として各駅と車両を七福神と結び付けて装飾。
1995(平成7)年12月1日 乗り入れ先の宇都宮線(東北本線)宇都宮駅〜宝積寺駅間でもワンマン運転を開始。
2003(平成15)年 開業80周年記念としてキハ40形1両(キハ40 1004)の塗装を原色の朱色5号(首都圏色)に変更して運行(4月から11月まで)。
2006(平成18)年7月22日・23日 臨時快速列車「烏山山あげ祭り号」が、上野駅〜烏山駅間を各日1往復運転される(翌年の同月28日・29日も運行)。
2010(平成22)年12月24日 開業88周年記念としてキハ40形2両をクリーム4号と朱色4号によるツートンカラー(国鉄時代の「一般色」)に変更して運行(2両目は2011年4月から)。
2011(平成23)年3月11日 東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)により、16日始発まで全線で運転を中止。
2012(平成24)年5月26日 大金駅〜烏山駅間のスタフ閉塞式が同日最終列車後に廃止され、特殊自動閉塞式に移行。合わせて全線でATS-P運用開始。
2013(平成25)年8月1日 大金駅の運転取り扱い終了に伴い同駅を無人化、また烏山駅を業務委託駅に変更。
2014(平成26)年3月15日 蓄電池駆動電車EV-E301系「ACCUM」の運行を開始。また烏山駅、大金駅、仁井田駅の新駅舎が使用開始される。
2017(平成29)年3月4日 キハ40形の運行を終了し、当線において運用される全車両がEV-E301系で統一。全列車ワンマン運転化。
2019(平成31)年3月16日 下り始発列車及び最終列車、上り最終列車が宝積寺駅発着から宇都宮駅発着となった。
2025(令和7)年1月25日 車内に自転車を持ち込めるサイクルトレインの実証実験を、翌年2月24日までの土休日の予定で実施。
2025(令和7)年3月15日 烏山駅が無人化。防犯のため同駅構内のトイレを閉鎖。
2026(令和8)年7月1日(予定) 支社制から事業本部制への再編に伴い、全線の管轄がこれまでの大宮支社から栃木事業本部に変更される。

TOP旅の記録路線各駅巡礼写真のページ>JR烏山線(栃木県)