◆旧国鉄黒石線→弘南鉄道黒石線(青森県)※廃線

◆2012年11月10日(土)、2013年6月23日(日)撮影

(概要)
 黒石線は全長6.6km(最終的に6.2km)のいわゆる盲腸線で、黒石市街地から離れた奥羽本線との連絡を担っていた。1912(大正元)年8月15日に黒石軽便鉄道として開業し、1922(大正11)年9月2日に黒石線に改称。しかし、1950(昭和25)年に弘南鉄道弘南線が弘南黒石まで延伸されると、従来の川部で乗り換えが必要だった弘前市内行きが乗り換え無しで行くことが出来るようになったため、旅客は弘南線に流れ、黒石線の利用者は減少するようになった。1968(昭和43)年には弘南鉄道から国鉄東北支社に対して経営委託の申し入れを行っったりもしている。
 さらに1980(昭和55)年に国鉄再建法が成立すると、廃止対象の第一次特定地方路線に指定され、1984(昭和59)年11月1日に弘南鉄道黒石線に転換。国鉄黒石駅を弘南黒石駅に統合して、弘南黒石駅に乗り入れできるように線路の一部を付け替えを行った。ちなみに国鉄の赤字路線から私鉄に移管された珍しい例となった。
 しかし、国鉄時代には五能線からの乗り入れ列車があったが、転換後は廃止されてしまい、川部での乗り換えを強いることになり、また運賃も国鉄・弘南との合算になって割高となってしまいかえって不便となってしまった。また、弘南鉄道のほかの路線は電化されていたが、黒石線は非電化であったのでそのためだけに気動車を保有しなければならずに非効率となっていた。そのため黒字化が難しいと判断され、1998(平成10)年3月31日に廃止となった。

駅名 駅間
営業
キロ
累計
営業
キロ
所在地 開業日
(漢字表記) (よみ)
川部駅 かわべ - 0.0

南津軽郡
田舎館村
1894(明治27)年12月1日
※奥羽本線の駅として
前田屋敷駅 まえだやしき 2.9 2.9 1935(昭和10)年4月15日
黒石駅 くろいし 3.3 6.2 黒石市 1912(大正元)年8月15日

1912(大正元)年8月15日 川部〜黒石間 (4.1M=6.6km) が黒石軽便線として開業、黒石駅を新設
1922(大正11)年9月2日 黒石線と改称
1935(昭和10)年4月15日 前田屋敷駅を新設
1973(昭和48)年3月 蒸気機関車の運転を廃止
1981(昭和56)年9月18日 第1次特定地方交通線として廃止承認
1984(昭和59)年2月1日 全線の貨物営業を廃止
1984(昭和59)年11月1日 全線を弘南鉄道の黒石線に転換、黒石駅を駅廃止し弘南黒石駅に統合、川部駅を弘南川部駅に改称、弘南川部〜弘南黒石間 (6.2km) となる
1986(昭和61)年4月1日 弘南川部駅を川部駅に、弘南黒石駅を黒石駅に改称
1988(昭和63)年8月1日 ワンマン運転開始
1998(平成10)年4月1日 全線 (6.2km) 廃止。弘南バスに転換。
wikipedeiaより)


国土地理院発行地形図(1/25,000(黒石)(H7))を引用
※以下、撮影日表記のないものは2013年6月23日(日)撮影のものです。
@弘南黒石駅
国鉄の黒石駅と弘南鉄道の弘南黒石駅は別々でしたが、1984(昭和59)年の国鉄黒石線が弘南鉄道へ転換と同時に、弘南黒石駅に統合され、弘南黒石駅に乗り入れできるように線路の一部を付け替えが行われました。

駅入口。駅舎は黒石線が現役だった当時のままです。
(2012年11月10日(土)撮影)

駅ホーム。黒石線のホームは右側にありました。右の白い建物は黒石線の検修所。
(2012年11月10日(土)撮影)

黒石線の検修所。弘南鉄道時代、他の弘南線や大鰐線は電化路線であったのに対し、黒石線だけは非電化路線だったので、黒石線用に気動車を別途保有し、保守のための施設が必要でした。このように他路線との機材の共有化ができなかったのも廃線の一因となりました。
(2012年11月10日(土)撮影)
A旧国鉄黒石駅跡
かつての旧国鉄黒石線は現在の弘南黒石駅とは別に存在し、ちょうど隣り合わせの位置にありました。1984(昭和59)年の弘南鉄道への転換と同時に、弘南黒石駅に統合され、旧国鉄駅は廃止となり、駅舎は取り壊されました。現在では広場となってその痕跡を見ることは出来ません。

現在は広場となっていて痕跡を見ることは出来ません。

道路の向こう側の区域が空き地となっていますが、かつての国鉄黒石駅の敷地だったと思われます。
B旧国鉄黒石線の路線跡
この区間は、1984(昭和59)年の弘南鉄道転換時に、弘南黒石駅に乗り入れできるように線路の一部を付け替えが行われて線路が撤去された区間。現在は宅地造成が進んで痕跡が消えつつあります。

国鉄黒石駅方向。
ここの部分だけ路線跡が空き地として残されています。

川部方向。
この先、自動車道に飲み込まれていきます。

黒石線の数少ない遺構である橋台跡。煉瓦造りの時代を感じさせる重厚な作りです。
(2012年11月10日(土)撮影)
C旧国鉄線と弘南鉄道線の分岐点
ここも宅地造成と自動車道化が進められて、その痕跡が消えつつあります。

弘南黒石駅方向。線路から左方向にそれる雑草部分がかつての弘南黒石線。

反対の川部方向。路線跡がまっすぐと伸びています。ここでは造成工事が進められていましたので、近い将来この路盤が消滅する可能性があります。

小川に架かる橋りょうが残されていました。1984年の弘南鉄道転換時に架けられたもので、簡素なコンクリート造りとなっています。
D国鉄黒石線と弘南黒石線の分岐点

道路部分がかつての国鉄黒石線の路線跡。右側の建物が弘南鉄道へ転換されたときに線路付け替えが行われた後の弘南鉄道黒石線の路線跡。

十字路付近が合流点。
E鉄橋
黒石線最大の遺構である2つ連続して存在する鉄橋。この部分だけなぜか自動車道路化されずに残されました。

川部側の橋梁。

こちらは弘南黒石側の橋梁。

橋台に近づいてみてみると、明治大正時代に多用された煉瓦造りとなっていました。開業当時のものと思われます。

この先、路線跡は再び道路化されていました。
F前田屋敷駅跡
黒石線の唯一の途中駅。ホームと待合所は現在十字路化されたかつての踏切の川部側にありました。現在はホームと線路と踏切は撤去されています。黒石側に建つアパート脇の鉄柵が唯一の遺構として残されています。

弘南黒石方向
奥の信号のあるところがかつての踏切。

川部方向
段差となっていて、左の一段高い部分がかつてのホーム跡で、低い右側が路線跡と思われます。

訪問時には気づきませんでしたが、建物の脇にある鉄柵が黒石線の遺構だったことを後で知りました。

この先また路線跡は道路化されています。
G道路終点
この先の部分は自動車道路化されずに路盤がそのまま残り、次第に奥羽本線に合流していきます。

かつてここには踏切がありました。

写真中央に鉄道に関連する設備が残されています。

写真右に奥羽本線を走る電車が見えました。ここから奥羽本線への合流点はすぐそこです。

左の一段高いところが路線跡。この区間は路線跡が綺麗に残っています。
H奥羽本線との合流点(川部北部踏切)

合流点すぐ近くにある「川部北部踏切」。
合流地点は写真左側(青森側)にあります。

踏切から川部駅方向を撮影。白い柵が見えるのが黒石線が乗り入れしていた4番線ホーム。
ちなみに左側に広い空き地がありますが、駅北東にあるセメント工場への専用線が昭和40年代まで存在していた名残で、その後も側線として残されていたようです。しかし、黒石線廃止によって撤去されました。写真左に分断されている線路はその名残です。

踏切から合流点方向を撮影。手前が現役で使われている奥羽本線のもので、奥にある赤さびた線路が黒石線のもの。ちょうどその先の木の左側にそって路線跡が残っています。

黄色の線で示した部分が路線跡。
I弘南川部駅(現在のJR川部駅)

訪問時のJR川部駅舎

かつてはJR川部駅4番線ホームに乗り入れていました。現在ホームには白い柵が設置され、線路が撤去され空き地となっています

現役時代(1997年3月26日撮影)の黒石線。左の写真と大体同じアングル。
(Wikipediaより転載)

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