くりはら田園鉄道線
廃線区間(その3)(栗原田町駅〜細倉マインパーク駅)
(旧細倉駅、旧細倉鉱山駅含む)

◆2012年5月13日(日)撮影
(その1)石越駅〜大岡駅
(その2)沢辺駅〜栗駒駅
(その3)栗原田町駅〜細倉マインパーク駅(旧細倉駅、旧細倉鉱山駅含む)

国土地理院発行地形図(1/25,000(岩ヶ崎)(H14)+1/25,000(金成)(H14))を引用
三迫川橋梁

三迫川(さんはざまがわ)は北上川水系迫川の支流で、この橋梁はくりはら田園鉄道線では一番の長さを誇ります。

なかなか良い趣を感じさせます。

現役時代には川を背景にこの橋を渡る列車といういい構図の写真が撮れたと思います。
旧栗原田町駅跡

駅跡にある石碑。
開業当初は「田町駅」で、1958(昭和33)年に改称。

上り(石越方向)
駅舎は設けられなかった無人駅で待合所のみがありました。現在はホームと待合所は撤去されています。

下り(細倉マインパーク前方向)
旧栗原田町駅〜旧尾松駅間
赤坂山トンネル

上り(石越方向)口。このトンネルは軽便鉄道時代のもので、1955(昭和30)年の軽便規格(762mm)から狭軌(1,067mm)への改軌の際に廃止された。

改軌の際に、トンネルの隣に切り通しを作って新路線とした。

側面から撮影。この風化具合が歴史を物語ります。
旧尾松駅跡

駅跡にある石碑。

上り(石越方向)
駅舎は設けられなかった無人駅で待合所のみがありました。現在はホームと待合所は撤去されています。

下り(細倉マインパーク前方向)

駅跡からは前述した赤坂山トンネル口を見ることが出来ます。
旧尾松駅〜旧鶯沢駅間

跨道橋跡。橋桁は撤去されていました。

「20」のキロポスト(距離標)

線路脇(写真手前)の両岸にある石垣は軽便鉄道時代の路盤のあと。このように軽便鉄道時代の面影が残っている区間です。

鶯沢駅側の橋梁。
旧鶯沢駅跡

駅跡にある石碑。旧鶯沢町(現在は栗原市)の中心市街の最寄り駅。

上り(石越方向)
駅舎は設けられなかった無人駅で待合所のみがありました。現在はホームと待合所は撤去されています。

下り(細倉マインパーク前方向)
二迫川(にのはざまがわ)橋梁

二迫川は北上川水系迫川の支流で、この橋梁はくりはら田園鉄道線では2番目に長い橋梁。

現役時代のままの姿をとどめているが、レールは赤く錆びている。
旧鶯沢工業高校前駅跡

駅跡にある石碑。1952(昭和27)年の開業当初は「駒場駅」でしたが、1995(平成7)年に名称変更。

駅名の由来となった「鶯沢工業高等学校」は、2011(平成23)年3月31日に閉校になり、現在は「宮城県岩ヶ崎高等学校鶯沢校舎」となっています。

上り(石越方向)
駅舎は設けられなかった無人駅で待合所のみがありました。現在はホームと待合所は撤去されています。

下り(細倉マインパーク前方向)
秋法(あきのり)トンネル

トンネル周辺にあった「24」のキロポスト(距離標)

くりはら田園鉄道線唯一のトンネル。石越方面より。
現在は侵入できないように柵が設けられている。

現在でも「秋法隧道」のプレートが置かれている。

ここは国道457号線と並行していて、トンネル手前まで生活道路があり接近は容易です。

トンネル付近の神社の鳥居。

神社の由来は不明ですが、いわゆる土地神様を祀ったものではないでしょうか。明治41年10月3日の東宮殿下(後の大正天皇)行啓記念碑があった。この行啓は奥州史跡調査目的で行われ、それを記念して建てられたものと思われます。
旧細倉駅跡

開業時は終着駅であったが、1990(平成2)年6月16日に観光施設である細倉マインパークの開業にあわせて、すでに廃止されていた貨物線の一部を再利用して細倉駅を細倉マインパーク前駅として名称変更して移転廃止。駅移転後もしばらくは駅舎は残されていたが、2008(平成20)年4月に撤去された。

駅跡にある石碑。

上り(石越方向)

下り(細倉マインパーク前方向)
旧細倉マインパーク前駅跡

廃止前の終着駅。1990(平成2)年6月16日に観光施設である細倉マインパークの開業にあわせて、すでに廃止されていた貨物線の一部を再利用して細倉駅を名称変更して延伸移転する形で開業。

駅舎からホーム間の連絡通路。

下り(細倉マインパーク前方向)

上り(石越方向)
旧細倉マインパーク前駅にて展示されている車両

ED20形電気機関車2号機(1)
ちなみに1号機は石越チャチャワールドで、3号機は若柳駅にて保存されている。

ED20形電気機関車2号機(2)

ED20形電気機関車2号機(3)

ED20形電気機関車2号機(4)

ワフ7形緩急貨車(ワフ71)(1)

ワフ7形緩急貨車(ワフ71)(2)
旧細倉鉱山駅

細倉マインパーク前駅から数100m離れたところにかつての旧細倉鉱山駅がありました。旅客営業を行わない貨物駅で、鉱山から産出する鉱山物の取扱を行っていた。
1987(昭和62)年3月31日の細倉鉱山閉山によって、翌年の10月に廃止。
路線跡は、写真左の道路に沿っていたが、歩道設置などの道路拡張によって消滅したと思われます。

駅跡にある石碑。

実際の駅は、もっと奥の鉱業所の中にあった。

細倉鉱山は現在、「細倉金属鉱業株式会社」として、自動車の廃バッテリーからの鉛回収を主に行っています。

鉱業所の向かいには鉱山資料館が開設され、鉱山関連の展示物を見ることが出来る。

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