◆(仮称)営林署鶯宿森林軌道線(岩手県)◆

◆2011年4月28日(木)、2011年8月11日(木)、2012年4月19日(木)、2013年12月1日(日)撮影
(概要:森林鉄道・森林軌道について)
 明治時代の後半、欧米列強の脅威から国を守るために富国強兵と殖産興業に邁進していた日本では、国産木材の需要が急速に高まった。しかし、古来から行われていた筏による木材の水上輸送は、常に商品である木材の紛失と水難事故の危険を伴うもので、計画的な物流が難しかった。そこで、森林鉄道の建設を目指す機運が全国で高まった。
 日本の森林鉄道の歴史は、1909(明治42)年12月20日に開通した津軽森林鉄道に始まる。その後、長野県の木曽、高知県の魚梁瀬をはじめとして、全国各地の林産地帯に大小さまざまな森林鉄道が建設された。また、当時は日本の一部だった台湾にも、同様に阿里山森林鉄路などの森林鉄道が建設された。
 軌間は殆どが762mmでいわゆるナローゲージである。営林署が中心となって762mmを標準とし、例外的に610mmを採用していた模様であり、かなり小規模な路線でも鉱山用軌道や構内軌道に見られる508mmの軌間は採用されていなかった。運材台車や機関車の互換性の他に木材移動時の転覆の防止もあったものと考えられる。
 1960年代までの日本は国産材中心の時代であり、大量の木材が生産されていた。しかし伐採した木材を搬出する林道網が貧弱な上、トラックなどの性能が低かったこともあり、運搬手段として鉄道が一般的に利用されてきた。宮崎県では当時の国鉄の営業キロを上回る延長の森林鉄道が存在した。
 1970年代になると、外国材の輸入が本格化して採算性が悪化したこと、資源の枯渇が進み鉄道で運び出すほど量の木材が生産できなくなったこと、自動車の発達と林道網の充実したことにより、またたく間に山から消えていった。1975年に、本州最後の森林鉄道が廃線し、歴史に幕を閉じた。
wikipediaより)

(歴史)
 現在の岩手県雫石町はかつては林業が盛んで、雫石駅南側に貯木場が置かれ、そこを起点として現在の岩手県西和賀町(旧沢内村)まで森林軌道線が引かれ、切り出した木材の運搬が行われていました。路線名の正式名称が不明でしたので、便宜上「鶯宿森林軌道線」としておきました。廃止時期は不明ですが、昭和30年代と思われます。現在では路線跡はダム建設による水没や道路に転用されたりして目立った遺構はほとんど残っていません。

(参考)森林鉄道と森林軌道
 森林鉄道の中には、森林軌道の名称を使用しているものがある。森林軌道も森林鉄道の一種であるが、正確に言えば、森林鉄道は大きく、1級線と2級線、作業軌道に区別されており、1級線が森林鉄道、2級線が森林軌道という。作業軌道に対し、1級線と2級線を土木軌道ともいう。
 森林鉄道と森林軌道、作業軌道の違いは規格の違いにより、森林軌道規格の森林鉄道路線も存在する。当初は両者の区分は曖昧であったが、1953(昭和28)年に林野庁によって一定の規格が定められた。林野庁通達による区分は次の通りである。
  • 1級線(森林鉄道)
    • 最小曲線半径:30m以上
    • 勾配限度:40‰
    • 軌条:10〜22kg
    • 道床厚み:100mm
  • 2級線(森林軌道)
    • 最小曲線半径:10m以上
    • 勾配限度:50‰
    • 軌条:9kg
    • 道床厚み:70mm
  • 作業軌道
    • 仮設的に施設され簡易構造の軌道。路盤が無いものが多く、伐採の進捗により仮設される場合が多い。殆どは伐採終了後に撤去されるが、整備され、1級線、2級線になるものもある。
    wikipediaより)
文献や情報が乏しく、主に国土地理院発行の旧版地形図が頼りの綱となりました。まだまだ未確認部分が多いですが、とりあえず暫定版としてアップしておきます。

昭和26年の地形図(抜粋)
※クリックすると大きいサイズの画像が別ウィンドウで開きます。
「この地図は、国土地理院発行の5万分の1地形図(鶯宿)(図歴:S26、S27.5.30発行)+5万分の1地形図(雫石)(図歴:S26、S27.2.28発行)を使用したものである。」
国土地理院発行地形図の引用について http://www.gsi.go.jp/LAW/2930-meizi.html

平成15年+平成21年の地形図(抜粋)
※クリックすると大きいサイズの画像が別ウィンドウで開きます。
「この地図は、国土地理院発行の5万分の1地形図(鶯宿)(図歴:H15、H16.11.1発行)+5万分の1地形図(雫石)(図歴:H20、H21.4.1発行)を使用したものである。」
国土地理院発行地形図の引用について http://www.gsi.go.jp/LAW/2930-meizi.html
@雫石駅南口と「営林署貯木場踏切」(2011年8月11日(木)撮影)
現在は広場と駐車場として整備されている敷地には、かつて森林軌道で運ばれた木材を一時的に貯蔵する「貯木場」が置かれていました。雫石駅の盛岡側にある踏切に「営林署貯木場踏切」とあるのがその名残です。
A路線跡(2011年8月11日(木)撮影)
現在は道路となっています。
B(2011年4月28日(木)撮影)
この区間はダムにより水没しました。
C(2012年4月19日(木)撮影)
ダム湖岸にへばりつくように路線跡が続いています
D交通公園(2012年4月19日(木)撮影)

現在の交通公園脇を通るように路線跡が続きます。

この先、川を渡る辺りで路線跡がとぎれます。
E
この区間はのちの農地開墾のために路線跡が完全に消失しています。
F神社前

この神社が目印です。

現在は生活道路に転用されたために路線跡が残されています。

この先で生活道は終わり、路線跡は不明瞭となります。
G南畑小学校(2013年12月1日(日)撮影)

明確な路線跡は消失していますが、この付近で支線と分岐していたようです。
左が支線の南畑大倉沢線で、直線方向が本線。

分岐点にある南畑小学校。

支線の南畑大倉沢線路線跡。この路線については後日調査する予定です。
H鶯宿温泉入口分岐(2013年12月1日(日)撮影)

左側の道路が路線跡と推定されます。右側が鶯宿温泉のメイン道路で、左側の路線跡は鶯宿温泉の裏手を通る形になっています。

左側の道路。この道路自体が路線跡なのか不明ですが、付近の地形を見ると、左が崖で、右が温泉施設などの民家に挟まれた狭い場所ですので、どうやら路線跡で間違いないようです。
I鶯宿温泉街はずれ(2013年12月1日(日)撮影)

舗装道路は写真右に曲がり橋を渡りますが、旧版地形図によるとここを直進し、鶯宿川右岸(北側)に沿って路線跡が続いていたものと思われます。

この先路線跡と思われる道が続いていました。
J粟滝橋付近の橋梁跡(鶯宿浄水場付近)(2013年12月1日(日)撮影)
ここには数少ない遺構である橋台と橋脚が残されています。

目印となる鶯宿浄水場。問題の橋はこのすぐ先。

粟滝橋から橋脚を眺めることができます。

粟滝橋を降りて撮影。2つの橋脚が残されています。

雫石側。橋台もしっかりと残されていました。
K門戸沢橋付近の橋梁跡(2013年12月1日(日)撮影)
この地点にも橋台と橋脚が残されています。

この門戸沢橋から橋脚を眺めることができます。

3つの橋脚が残されていましたが、両岸の橋台は残されていませんでした。

橋脚には橋桁を固定するボルトがそのまま残されていました。
L鶯宿ダム(2013年12月1日(日)撮影)

現在、森林軌道時代にはなかった鶯宿ダムが建設され、路線跡が曖昧になってしまいます。

地形図や周りの地形から推測すると、この鶯宿ダムの水没部分を通っていたようです。

湖岸にまっすぐ伸びる道がありました。どうやらダム保守用に使用されている道路のようですが、路線跡の可能性があります。

写真左から右と伸びています。
M林道(2013年12月1日(日)撮影)

この一帯の国有林は「鹿妻穴堰土地改良区水源涵養林」として管理されています。

看板には熊か何かが傷つけたような跡が残されていました。

この先、遺構が残されていませんので、路線がどこにあったのかは不明です。この林道自体が路線跡の可能性もありますが確証はありません。
川も沢程度と浅くなってしまうので、前述したコンクリート製の橋脚をもつ頑丈な橋をわざわざ渡す必要もなかったようです。
N貝沢トンネル
このトンネルは、西和賀町(旧沢内村)と雫石町の境にあり、この先は西和賀町となります。
旧版地形図によれば、このトンネルの東側に軌道線トンネルの記述がありましたが、存在については未確認です。

昭和26年の地形図(抜粋)

O(2013年12月1日(日)撮影)

この付近で、路線は右に曲がっているはずですが、現在では路線の痕跡は残っていません。

この先、木々が鬱蒼と茂る山に向かいます。
P(2013年12月1日(日)撮影)

この道は路線跡ではなく、路線跡に沿った道路です。この民家の先で舗装道路がとぎれ、通称和賀三山の登山道に続いています。

この先は未舗装道路となり、登山道となります。
Q大木原砂防ダム(2013年12月1日(日)撮影)

森林軌道廃止後に建設された砂防ダムの下に路線跡が続いていたようです。

「大木原砂防ダム 昭和55年2月完成」と読むことができます。

右手に山が見えますが、この山は戸倉山(標高574m)。地形図上では麓の谷地川(林付近)にそって路線が延びていましたが、現在は痕跡は残っていません。
R地形図上の終点(2013年12月1日(日)撮影)

地形図によれば、この沢の先に路線が延びていましたが、これ以上自動車で通行できる保証がなかったので引き返しました。

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