旧新橋停車場 (2011年7月17日(日)撮影) |
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この建物の正式名称は「旧新橋停車場 鉄道歴史展示室」。 |
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裏手に復元された開業当時の線路と、鉄道の起点であった「0哩(マイル)標」が当時と全く同じ位置に再現されている。 |
創業当時、枕木やレールの台座(チェアー)は小石や砂の混じった土をかぶせられ、レールの頭だけが地表に出ていました。レール断面は上下対称のI型で、双頭レールといいます。この復元軌道の半分は小石をかぶせて当時に近い状態を再現し、残りは枕木や台座が見えるようにしました。双頭レールは錬鉄製で、1873年にイギリスのダーリントンで作られ、官設鉄道で使われたあと、新潟県柏崎市の精油所で使われたもので、日本石油株式会社、新日本石油加工株式会社の両者からご寄贈いただきました。(現地案内板より) |
レール断面。双頭レールです。 |
1870年4月25日(明治3年3月25日)、測量の起点となる第一杭がこの場所に打ち込まれました。1936(昭和11)年に日本の鉄道発祥の地として0哩標識と約3mの軌道を復元しました。1958(昭和33)年10月14日、旧国鉄によって「0哩標識」は鉄道記念物に指定され、1965(昭和40)年5月12日、『旧新橋横浜間鉄道創設起点跡』として国の指定史跡に認定されました。(現地案内板より) |
開業当時のプラットホーム。 |
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浜離宮前踏切 (2011年10月7日(金)撮影) 旧汐留駅の名残はほとんど残されていませんが、唯一と言っていいものとしては、「浜離宮前踏切」があります。旧新橋停車場のすぐ近く、都道316号(海岸通り)の電通本社ビル付近の銀座郵便局となりに残されています。 「残されている」というのは、現在は「現役」として使用されていないという意味です。下記の案内板からは、汐留駅と引込線廃止時に、地元住民の要望で残されたとのことです。 |
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私が訪れたときは、浸水対策の下水道工事のために工事用防壁が設置されていました。ちょうど、この壁が設置されたところが、かつての貨物専用線のあったところです。 |
高層ビルに踏切、ミスマッチで面白い組み合わせです。 |
(案内板より引用) 浜離宮前踏切 説明 所在地 中央区銀座八丁目21番1号先 この信号機は、昭和6年(1931)から昭和62年(1987)1月31日までの56年間、国鉄汐留駅と東京と中央卸売市場築地市場との間を貨物引込線の踏切用として使用されました。 最盛時には、1日150輌に達する貨物車が通過しましたが、貨物輸送の変化に伴い、汐留駅廃止と共に引込線も撤去される事になりました。しかしながら、地元民の要望により、銀座には珍しい鉄道踏切信号機として、保存されることになりました。 昭和62年(1987)12月 |
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(案内板より引用) 保存理由 元この高速道路の下には汐留川が流れ、鉄橋も架っていました。 汐留駅は、わが国の鉄道開業当時における始発駅の新橋駅でしたが、大正3年(1914)東京駅が中央駅になると、ここは貨物駅になりました。大震災後、築地に東京市中央卸売市場が完成すると、汐留駅と市場間に荷物運搬のための線路がしかれ、大きな働きをしたのです。 都民の暮しの台所を支えて来たこの信号機を、国鉄廃止に当り捨て去られるのにしのびず、東京都中央卸売市場築地市場、東京都第一建設事務所並びに中央区教育委員会、地元各位の多大な御協力に依り、ここに永久保存されることになりました。 昭和62年(1987)12月 銀座御門通り会 銀座金春通り会 |