JR貨物塩釜線(貨物線)(宮城県)

◆2014年3月22日(土)撮影

国土地理院発行地形図2.5万分の1地形図(仙台東北部)(H20.10.1発行)+(塩竈)(H21.4.1発行)を引用
 この路線は周辺の東北本線や仙石線の路線変更による駅名変更などがありとても複雑です。
 塩釜線は東北本線の前身である日本鉄道が建設されたことから始まりました。この時、郡山駅以北の建設に使うための資材は船で塩釜港まで運搬されたため、この塩釜港からの資材搬入用路線を含め、郡山駅から仙台駅を経て塩釜港近くの塩竈駅(後に塩釜港駅→塩釜埠頭駅)に至る区間で同時開業しました。

 その後、北へのさらなる日本鉄道線延伸は、塩竃駅からそのまま延伸させずに仙台駅〜塩竃駅間にある岩切駅から分岐して松島丘陵を越えて品井沼駅へと至るルートとなりました(いわゆる山線)。この時、岩切駅〜塩竃駅間は支線となり、日本鉄道の国有化を経て、1909(明治42)年に塩竃線の名称が付けられました。

 当時は塩釜港は、仙台港にその機能を譲るまでは漁業や商工業の面で東北地方では重要な地位を占め、しばらくの間は貨物輸送が、また1926(大正15)年に宮城電気鉄道(現在の仙石線)が開業するまでの間、住民の貴重な足として旅客輸送も担いました。
 1933年(昭和8)年には塩竈駅から塩竈港駅まで貨物線が開業し、昇開式の可動橋も設置されました。なお、宮城電気鉄道は塩竈市内で2kmほど並行して敷設されています。

 太平洋戦争中の1944(昭和19)年、東北本線の従来の岩切駅〜利府駅〜品井沼駅間(山線)の路線では、牽引力の弱い蒸気機関車での長大列車では、急勾配区間を登れず、補助機関車が必要になるなど、輸送力増強のための弱点となっていきました。そのため、塩竃線の陸前山王駅から分岐して勾配の緩やかな海側の路線を敷設し、貨物専用線としました(海線)。その際に岩切駅〜陸前山王駅間が東北本線に編入されたため、塩竃線は陸前山王駅〜塩竃駅間となりました。

 戦後は、当初の貨物専用線として使われていた勾配の緩い海線には次第に急行列車を中心に旅客列車が多数設定され、また戦後の輸送量の増加に対応するために複線化が行われましたが、この時は山線ではなく海線が選ばれ、沿線人口が少なく勾配が急である山線は廃止されました。それに先立つ1956(昭和31)年に新線(海線)上に塩釜駅と新松島駅(のちの松島駅)が設けられることになりました。そのため、塩竈線は塩釜線と改称した上で、旅客営業に関しては新線の塩釜駅に譲ることで定期運用は廃止し、同線にあった塩竈駅は塩釜港駅、塩竈港駅は塩釜埠頭駅と改称されました。1965(昭和40)年には、塩釜魚市場駅への支線も開通していましたが、開通直後に塩釜魚市場の水揚げ量が大きく減少し、支線は開通からわずか13年後の1978(昭和53)年には廃止されました。
 1981(昭和56)年の仙石線西塩釜〜本塩釜〜東塩釜間の高架化に伴う路線移設に際し、塩釜魚市場駅への支線跡地と塩釜港駅構内等が利用され、塩釜港駅と本塩釜駅は同一敷地内となり、下馬駅北側〜本塩釜駅間が塩釜線との並行区間となりました。 末期は塩釜港の石油輸送のみが行われ、空のコンテナ列車、不要になった貨車の解体などが多かった。 そしてモータリゼーション発達に伴うトラック輸送への移行と、塩釜港の仙台港への機能移転、さらに唯一の収入源であったタンク車による石油輸送が廃止され、塩釜線は収入源と需要を失い1994(平成6)年に休止、1997(平成9)年には廃止となりました。

年月日 東玉川町 本町1 海岸通15 貞山通1 備考
1887(明治20)年12月15日〜 日本鉄道
塩竈駅
日本鉄道線(東北本線)開業
1909(明治42)年10月12日〜 塩竈線
塩竈駅
岩切〜塩竈間が塩竈線と名称設定される。
1926(大正15)年12月15日〜 宮城電気鉄道
本塩釜駅
宮城電気鉄道(仙石線)が本塩釜駅まで延伸。
1933(昭和8)年9月25日〜 塩竈線
塩竈港駅
貨物支線、塩竈〜塩竈港間が開業し、(貨)塩竈港駅が開業。
1944(昭和19)年5月1日〜 仙石線
本塩釜駅
宮城電気鉄道が国有化され、仙石線となる。
1956(昭和31)年6月10日〜 塩竈線
塩釜埠頭駅
(貨)塩竈港駅を(貨)塩釜埠頭駅に改称。
1956(昭和31)年7月9日〜 東北本線
塩釜駅
塩釜線
塩釜港駅
東北本線(海線)に塩釜駅が開業し、塩竈線は塩釜線に改称、旅客営業を廃止。塩竈駅を(貨)塩釜港駅に改称
1981(昭和56)年11月1日〜 仙石線
本塩釜駅
仙石線の西塩釜〜東塩釜間を高架・複線化。
本塩釜・東塩釜の両駅を移転。
1986(昭和61)年10月21日〜 塩釜港駅を塩釜埠頭駅へ統合し廃止
1990(平成2)年4月1日〜 塩釜線
塩釜埠頭駅
塩釜埠頭駅が旧・塩釜港駅に移転
1997(平成9)年4月1日〜 塩釜線廃止

国土地理院発行地形図2.5万分の1地形図(仙台東北部)(H20.10.1発行)を引用
@陸前山王駅

陸前山王駅舎

ホーム上に残されている塩釜線のゼロキロポスト。
A国府多賀城駅

下り(盛岡方面)
この2番線ホームは塩釜線の廃線跡に建てられています。
ホーム下にある平坦地はその名残です。

上り(東京方面)
塩釜線の廃線跡が空白地として若干残っています。

国土地理院発行地形図2.5万分の1地形図(仙台東北部)(H20.10.1発行)+(塩竈)(H21.4.1発行)を引用
B東北本線との分岐点

国府多賀城駅の下り側にある陸橋より撮影。
この先、カーブしている地点で分岐しています。

分岐場所。路線跡が残されていました。奥に見える架線は東北本線。

反対側。この先塩釜埠頭駅まで伸びています。
C

この先、道路と交差します。踏切は撤去され、道路が平坦になるように若干のかさ上げが行われていました。

この先、路線跡が続きます。
D

路線跡は住民の生活道路に使われていました。

路線跡と住宅の境界線には「工」の標識がありました。
E

この地点も踏切は撤去され、痕跡は残されていませんでした。

この先路線跡が続きます。
F玉川橋梁

現在、塩釜線の数少ない遺構の一つとなった橋梁が今も残されています。

反対側。明治時代に多用された煉瓦積みがきれいに残され、歴史の古い路線であったことを示しています。

現在は玉川の両岸が遊歩道として整備されています。

護岸壁にプレートがありました。
「施工:合資会社小梛組
施工数量:9.6m2
構造:玉川橋梁護岸壁修繕コンクリート造
しゅん功年月日:昭和42年8月10日」

こちらの護岸壁にもプレートがありました。
「玉川橋りょう護岸壁修繕
しゅん功 40年3月14日
施工 株式会社 大場組」
G

勾配標が残されていました。

この先は宅地造成による住宅建設により路線跡が一時消滅します。
H

路線跡は中央を通る道路ではなく、写真右側にある建物のようです。

道路がクランク状になっていますが、路線跡は写真左側の建物から、中央の建物へと伸びていたようです。
I

道路と立体交差します。路線跡は中央を走る道路の右側にある建物です。
J

中央の道路を横切る形で左から右へと路線跡が続いていました。
K

塩釜埠頭方向。この付近から、路線跡は仙石線(写真右の高架)に沿って進みます。現在は路線跡はジョギングコースとして整備されています。

反対の陸前山王方向。
L

かつてこの地点の道路上には線路が残されていましたが、現在は撤去されて、痕跡が残されていません。

右から左へと路線跡が続きます。高架は仙石線。
M西塩釜駅

路線跡は西塩釜駅の脇を進みます。

現在、路線跡は遊歩道として整備され、傍らに塩釜線の案内展示がされています。

塩釜線についての案内板。

案内板より写真部分を表示(1)

案内板より写真部分を表示(2)

案内板より写真部分を表示(3)
N

ジョギングコースはここで終了します。

路線跡上になにやら設備があります。

その設備とは、水害対策として、路線跡の地下15mに埋設された、直径3m、延長800mほどの貯留管で、洪水時に一時的に水をため込む構造です。この工事と同時に現在見られるジョギングコースが整備されたようです。

国土地理院発行地形図2.5万分の1地形図(塩竈)(H21.4.1発行)を引用
O

不自然な出っ張りが見えますが、どうやら仙石線の旧線時代の橋台のようです。

先ほどの案内板の写真を見ると、写真左で仙石線と塩釜線が立体交差する地点だったらしく、高架の仙石線の下を塩釜線がまたぐ陸橋が見えます。

近づいてみると、石積みの立派な橋台でした。
P

中央のトラックあたりが路線跡で、ここで塩釜線は、仙石線の高架下と交差します。
Q

陸前山王方向。仙石線の高架下に路線跡があります。

塩釜埠頭方向。高架下の右側をすすむと、本塩釜駅舎とぶつかり行き止まりとなりますが、そこで意外なものを発見しました。

これこそ、塩釜線の塩竈駅→塩釜港駅→塩釜埠頭駅のホーム跡です。
R仙石線本塩釜駅

塩釜線の塩竈駅→塩釜港駅→塩釜埠頭駅は、本塩釜駅の南に隣接し、開業当初はここが終着駅でした。現在はアクアゲート口の自動車駐車スペースと複合商業施設が建てられています。

本塩釜駅に隣接する複合商業施設。ここも塩釜線の塩竈駅→塩釜港駅→塩釜埠頭駅敷地の一部。
S

この区間は、1933年(昭和8)年に延長された路線(貨物線)跡で、写真左の道路が路線跡です。
(21)貞山堀運河橋りょう(可動橋)跡

陸前山王方向。この地点で路線は貞山堀を渡っていました。

塩釜埠頭方向。かつてここには昇開式の可動橋が設置され、全国的にも珍しいものだったそうです。

近づいてみると、線路がそのまま残されていました。

貞山堀を渡ると、線路はそれぞれの工場へと分岐していきます。
(22)

この地点で、塩釜埠頭駅への分岐線が延びていました。
(23)(旧)塩釜埠頭駅(1933〜1990年)

写真中央の白い建物の後ろに路線跡が伸びていました。

塩釜埠頭駅跡。左の建物は、路線跡に建設中のものです。
(24)

南側には石油工場の油槽所が立ち並び、専用線はその中を通っていました。ちなみにこの専用線は8社の共同使用で、塩釜線の末期にはタンク車による石油輸送のみが行われていました。

油槽の間を縫うように路線跡が残されていました。
(25)

道路上には、踏切跡を見ることが出来ました。

広い敷地がありましたが、おそらく専用線の引き込み線の跡でしょうか
(26)

どうやらここが専用線の終点のようです。現在は広い敷地が残されています。

ここにも踏切跡の痕跡が残されています。

路線
1997年・1990年廃止区間 陸前山王駅 (0.0)〜塩釜埠頭駅(旧・塩釜港駅)(4.9)〜塩釜埠頭駅(移転前)(6.8)
1978年廃止区間 塩釜港駅 (0.0)〜塩釜魚市場駅 (2.1)

歴史
1887(明治20)年12月15日 日本鉄道線 郡山〜仙台〜塩竈間が開業。塩竈駅開業
1888(明治21)年10月11日 仙台〜塩竈間に岩切駅が開業
1890(明治23)年4月16日 日本鉄道線 岩切〜一ノ関間延伸開業で、岩切〜塩竈間(4M23C≒6.90km)は支線となる
1906(明治39)年11月1日 日本鉄道が国有化
1909(明治42)年10月12日 国有鉄道線路名称制定。岩切〜塩竈間が塩竈線となる
1930(昭和5)年4月1日 マイル表示からメートル表示に変更(岩切〜塩竈間4.3M→6.9km)
1933(昭和8)年8月1日 長町〜塩竈間ガソリンカー運転開始。
1933(昭和8)年8月15日 多賀城前駅開業
1933(昭和8)年9月25日 貨物支線 塩竈〜塩竈港間 (1.9km) 開業。(貨)塩竈港駅開業
1944(昭和19)年5月1日 多賀城前駅を陸前山王駅に改称
1944(昭和19)年11月15日 陸前山王〜品井沼間に東北本線の貨物迂回線(東北海岸線、海線)が開業し、岩切〜陸前山王間 (2.0km) を東北本線に編入
1956(昭和31)年6月10日 (貨)塩竈港駅を(貨)塩釜埠頭駅に改称
1956(昭和31)年7月9日 東北海岸線に塩釜駅が開業、塩竈線は塩釜線に改称、旅客営業を廃止。塩竈駅を(貨)塩釜港駅に改称
1965(昭和40)年10月1日 貨物支線 塩釜港〜塩釜魚市場間 (2.1km) 開業。(貨)塩釜魚市場駅開業。同区間には鮮魚貨物列車が運行
1978(昭和53)年12月1日 貨物支線 塩釜港〜塩釜魚市場間 (2.1km) 廃止
1981(昭和56)年11月1日 本線 陸前山王〜塩釜港間・貨物支線 塩釜港〜塩釜埠頭間の区間表示を、陸前山王〜塩釜埠頭間に変更・統合
1986(昭和61)年10月21日 塩釜港駅を塩釜埠頭駅へ統合し廃止
1987(昭和62)年4月1日 国鉄分割民営化により、日本貨物鉄道が承継 (6.8km)
1990(平成2)年4月1日 塩釜埠頭駅が旧・塩釜港駅に移転 (-1.9km)
1994(平成6)年4月1日 塩釜港のタンク車による貨物輸送が廃止され、定期運用がなくなったため、陸前山王〜塩釜埠頭間休止
1997(平成9)年4月1日 陸前山王〜塩釜埠頭間廃止、塩釜線全廃

Wikipediaより)

TOP旅の記録路線各駅巡礼写真のページ>JR貨物塩釜線(貨物線)(宮城県)
TOP旅の記録廃線、廃道、道路関係>JR貨物塩釜線(貨物線)(宮城県)