開業:1924(大正13)年11月25日 ※1916(大正5)年9月5日に塩狩信号所として設置。 所在地:北海道上川郡和寒町字塩狩 キロ程:28.4km(旭川起点) |
駅名由来 塩狩峠より。北海道内の旧国名である天塩国の「塩」と、石狩国の「狩」をとって命名されたものである。 その他 塩狩峠の頂上にある駅。山の中にあるため、周辺は自然が多い。作家三浦綾子の小説『塩狩峠』のクライマックスの舞台でもある。ちなみに塩狩峠は天塩川水系と石狩川水系の分水界である。 ※参考、引用サイト:Wikipedia |
駅名標 |
駅舎(待合所) |
上り(旭川方面) |
下り(稚内方面) |
駅前(1) |
駅前(2) |
駅舎(待合所)内(1) |
駅舎(待合所)内(2) |
駅舎ホーム側 |
長野政雄氏殉職の地の石碑 1909(明治42)年2月28日、午後8時過ぎに蘭留駅を出発した8100形蒸気機関車牽引の名寄駅発旭川駅行き最終急行列車が塩狩峠の頂上付近に差し掛かった時、最後尾の客車の連結器が外れて単独で上り勾配を逆行・逸走する列車分離事故が発生した。乗り合わせていた鉄道院(国鉄の前身)旭川鉄道運輸事務所庶務主任が、客車最後尾側デッキ上のハンドブレーキを操作して暴走する客車の停止を試みるも庶務主任はデッキから転落し、床下に巻き込まれ殉職した。しばらく走行したあと客車は停止し乗客にけが人や犠牲者はなかった。 三浦綾子の小説『塩狩峠』の主人公・永野信夫は実際の事故の犠牲者である鉄道院職員・長野政雄がモデルである。作品中では主人公が暴走する客車を停止させる最後の手段として、みずからの体を車輪の歯止めにするべくデッキから車両の前に飛び込んで殉職しているが、実際の事故では当事者死亡につき顛末の詳細は不明である。 |
裏には碑文があります。 |
塩狩峠の碑。手塩国と石狩国との国境で、海抜は274mとある。 |
ホームから見える塩狩峠記念館。 |
塩狩峠記念館。作家である三浦綾子さんの旧家を移設復元した建物。ここで小説「氷点」や「塩狩峠」などの作品を執筆した。現在は執筆の部屋や小説「塩狩峠」の関連資料が展示されています。 |