階上岳 青森県と岩手県の境にある標高740mの山。別名「臥牛山(がぎゅうさん)」ともよばれ、ツツジの群生地としても知られる。 八合目「大びらき」までは自動車で行くことが出来、そこから山頂までは登山道が整備され、1時間程度で到着できるので初心者でも山頂に登ることが出来る。そのため、登山客は多い。 山頂からは、北西には隣接する八戸市街、八甲田連峰を一望でき、北東には広大な太平洋、また南西には北上山脈を眺めることができる。 |
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8合目「大びらき」にある在青森県テレビ局の八戸中継局。八戸市や三沢市、十和田市など南部地方の大部分をカバーしている。 |
山頂直下にある岳大明神を祀る神社。 |
山頂を示す碑。 |
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碑のすぐ横にある奇石群。 |
山頂にある三角点。後でネットで調べたら何と「一等三角点」。1897(明治30)年設置だそうです、たぶん私にとってはお初の一等三角点。ちなみに三角点とは、三角測量(緯度・経度・標高)の基準点で、地図作成のために重要な地点。測量方法の性質上、見晴らしの良い山の山頂が選ばることが多いそうです。 |
山頂付近にある湧き水「龍神水」。 山形県鶴岡市の善宝寺にある龍神の分身といわれ、雨と水の神で、日和乞いや雨乞い、地鎮や風鎮、豊作加護、悪魔払いに信仰されてきた。 この龍神水は山の山頂付近の湧き水としては珍しいもので、1989(平成元)年「私たちの名水」として青森県知事の認定を受けた。 |
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8合目「大びらき」よりの眺め。うっすらと見えるのは「八甲田連峰」。その麓にある街が十和田市の市街地。 |
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8合目「大びらき」よりの眺め。八戸市街地と八戸湾。 |
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道仏館 築城時期、館主ともに不明。伝承によれば、赤松民部吉時が1591(天正19)年の九戸政実の乱の時に南部信直に味方したため久慈備前、櫛引清長らに攻められて落城したという。また一説によると、赤松民部吉時の妻は九戸政実の妹で、九戸政実自らが道仏館を攻めたとも言われる。 道仏館は、南側を西から北東に流れる道仏川を天然の堀として、東西北を堀や土塁で区切っている単郭式で、現在は、「館神社」の境内となっている。 |
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案内板。 |
現在では「館神社」の境内になっています。 |
北側。かなり深い空堀でした。 |
館跡の出入口にある土塁。 |
館跡の出入口にある土塁。 |
虎口(こぐち)。虎口とは城郭における出入口のこと。現在では館神社の出入口となっています。 |
青森県・岩手県最北の境界石 資料によれば、「この海域はウニとアワビの宝庫で、漁業権をめぐる話し合いは難航したが、1951(昭和26)年に決着し、陸と海に碑が設けられ海の目印として海中の岩に「堺」の文字を刻んだ」とのことです。 (2021年3月27日(土)、2023年7月23日(日)撮影) |
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左が岩手県、右が青森県 |
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漁業権基点標(岩手県) |
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先ほどの石碑から一直線に旗が伸びていました。 |
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その先には「堺」と刻印された石があり、左が青森県、右が岩手県で、先ほどの県堺石とを結ぶ線が境界線となります。 |
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堺石の写真が不鮮明でしたので再訪問して撮影。前回訪問時に比べ、刻印が白く塗られていました。 (2023年7月23日(日)撮影) |
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青森県と岩手県の境を流れる小川。ここが岩手県最北端となります。実際はこの川が県境では無く、川から南側(写真手前)数mが県境のようです。 |
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