竜飛崎 竜飛崎(たっぴざき、たっぴさき)は、青森県東津軽郡外ヶ浜町三厩龍浜にある、津軽半島の最北端、津軽海峡に突き出た岬である。龍飛崎と表記することもある。津軽国定公園の一部。北海道の白神岬とは津軽海峡を挟んで19.5kmの距離があり、地下を青函トンネルが通る。 |
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龍飛埼灯台 1932(昭和7)7月1日初点灯。2006(平成18)年4月1日に無人化された。 |
竜飛崎にある渡海水準点。 |
白神岬方面。竜飛崎から見て一番近い北海道です。 |
日本海に浮かぶ渡島小島(おしまこじま)。写真右方向には渡島大島がありますが、天気が悪いために見えませんでした。両方とも見ることが出来るのは年に数回程度だという事です。 |
松前町中心地方面。 |
日本唯一の階段国道で、全長338.2m、326段のれっきとした階段で、もちろん自動車は通行できません。 |
津軽海峡冬景色歌謡碑。石川さゆりのヒット曲『津軽海峡・冬景色』にちなんだ碑。歌碑の下にあるボタンを押すとワンコーラス(2コーラス目)が流れる。 |
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厩石(まやいし) この付近は源義経が平泉を脱出して北海道に渡ったという伝説が残されていて、関連したものが残されている。この厩石もその一つです。 |
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厩石の由来(現地案内板より) 文治五年(1189年)、兄頼朝の計らいで、衣川の高舘で藤原秦衝に急襲された源義経は、館に火をかけ自刃した。これが歴史の通説であるが、義経は生きていた!藤原秀衡の遺書(危険が身に迫るようなことがあったら館に火をかけ、自刃を粧って遠くの蝦夷が島(北海道)へ渡るべし) のとおり北を目指しこの地に辿り着いた。近くに蝦夷が島を望むが、荒れ狂う津軽海峡が行く手を阻んで容易に渡ることが出来ない。そこで義経は海岸の奇岩上に座して、三日三晩、日頃信仰する身代の観世音を安置し、波風を静め渡海できるように一心に祈願した。 丁度満願の晩に、白髪の翁が現れ、”三頭の龍馬を与える。これに乗って渡るがよいと云って消えた。翌朝厳上を降りると岩穴には三頭の龍馬が繋がれ、海上は、鏡のように静まっていて義経は無事に蝦夷が島に渡ることができた。それから、この岩を厩石、この地を三馬屋(三厩村)と呼ぶようになりました。 |