◆夕張市(北海道)◆

◆2017年5月3日(水)撮影◆
 夕張市(ゆうばりし)は、北海道空知地方の市。北海道の中央部に位置し、かつては石狩炭田の中心都市として栄えた。夕張メロンの産地として知られる。しかし、2006(平成18)年には深刻な財政難のあおりを受け、2007(平成19)年3月6日をもって財政再建団体に指定され、事実上財政破綻した。
 地名の由来はアイヌ語の「ユーパロ(鉱泉の湧き出る所)」から。北方探検家・松浦武四郎の「郡名建議書」には、アイヌ語の「イユウ・パロ(温泉(鉱泉)の・口)」と示されている。
 人口はピーク時、116,908人(昭和35)を有していたが、基幹産業である炭鉱の閉鎖により、急激に減少し、8,651人となっている (住民基本台帳人口、2017年3月31日)。

石勝線(夕張支線)の夕張駅。

夕張市役所

夕張市役所前(1)

夕張市役所前(2)

夕張市役所前(3)

かつての夕張炭鉱の坑口跡。

石炭の歴史村(現在閉園)

初代の夕張駅構内跡。駐車場となっている。

夕張市石炭博物館

坑口跡(1)

坑口跡(2)

天龍坑坑口跡
明治33年(1900)、夕張鉱第三斜坑として開発された。大正7年(1918)「天龍坑」と改称。夕張炭鉱の坑口名からは坑内火災を避けたいという思いから河川名を使用しており、この坑名も河川名を使用しており、この坑名も天竜川からとったもの。
昭和13年(1938)には、161人の犠牲者を出すガス・炭塵爆発が発生した。
(現地案内板より)

石炭の大露頭(1)
1974(昭和49)年12月6日に北海道天然記念物に指定されました。

石炭の大露頭(2)
この石炭大露頭は、新生代第三紀(古第三紀)石狩層群中の夕張基底部のあたり上部より6尺層、8尺層、10尺層の計24尺層からなり、粘結度の高い瀝青炭であります。
このような石炭大露頭は他に例が少なく天然標本として学術的にも大変貴重なものであるとともに、明治6年(1873)米国人地質学者ライマンの調査にもとづき、明治21年(1888)年北海道庁技師坂市太郎が発見、これが夕張炭田発展の歴史を示す象徴でもあります。
この露頭の内部に昭和15年(1940)年頃、北海道炭砿汽船株式会社が模擬坑を設けましたが、昭和55年(1980)夕張石炭の歴史村建設計画中の石炭博物館ゾーンとして整備したものであります。
港内は採炭技術の歴史に関する機械器具、採炭の方法などをわかりやすく再現した、世界でも例のない体験の場であります。
(以上、現地案内板より)

採炭救国坑夫の像
この像は、軍需生産美術推進隊彫塑班の二科会員中村直人らと地元協力者によって、炭鉱産業に従事する人々の激励と慰問のために、昭和19年6月29日北炭夕張鉱業所前庭に建てられたものである。
当時は、製作資材等が乏しいうえ、設備一つない屋外で、わが国彫塑界はじめての試みという現地製作に取りくんだが、何しろ大塑像(3.63m)を一週間で、しかもコンクリートによって作るだけに非常な苦心であった。
戦後「進発の像」と呼ばれ、炭都夕張のシンボルとして市民に親しまれ、技術的にも美術的にも価値あるもので、昭和60年12月現在地に移転したものである。
夕張市指定文化財(第4号) 昭和62年3月9日指定
(現地案内板より)

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