上の橋は、南部家第27代当主(第2代藩主)南部利直によって、盛岡城築城にあわせて中津川にかけられた「上の橋」、「中の橋」、「下の橋」のうちの一つで、1609(慶長14)年と3橋の中では一番歴史が古い。青銅製の擬宝珠(ぎぼうしゅ・ぎぼし)が取り付けられたのは、 1336(延元元)年後村上天皇より恩賞として京都鴨川橋の擬宝珠の使用が許された故事によると伝えられている。元々は南部氏の居城であった三戸城下の川の橋にあったが、盛岡城築城の際に鋳直されて取り付けられた。何度も橋の流出という災難にあったにもかかわらず、現在慶長14年銘のものが8個、慶長16年銘のものが10個、合計18個の擬宝珠が取り付けられていて、1945(昭和20)年に国の重要美術品に指定されている。重要美術品がそのまま橋に取り付けられているのは大変珍しいという。 | |
(2002年9月撮影) |
(2002年9月撮影) |
下の橋 下の橋は、南部家第27代当主(第2代藩主)南部利直によって、盛岡城築城にあわせて中津川にかけられた「上の橋」、「中の橋」、「下の橋」のうちの一つで、1612(慶長17)年に架けられた。上の橋や中の橋同様、何度も洪水による橋の流出に見舞われた。ちなみに下の橋の擬宝珠は、1910(明治43)年の洪水で流されて、洋式橋に掛け替えられた中の橋のものを移築したものであり、もともと下の橋には擬宝珠がなかったという。現在の下の橋は1911(大正元)年に架けられたもの。 |
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(2002年9月撮影) |
(2010年9月26日撮影) |
(2010年9月26日撮影) 擬宝珠。 |
(2010年9月26日撮影) 擬宝珠。「慶長十六辛亥(かのとい)年八月吉日中津川中之橋源朝臣利直」の銘がある。もともと、中の橋にあった擬宝珠であることがわかる。 |