◆盛岡市(岩手県)◆
盛岡監獄跡(現在の前九年公園)(前九年二丁目)



(2011年4月17日撮影)
 現在の前九年二丁目と呼ばれるこの一帯は、かつては「孤森」、「宿田後」という地名で、人里離れた寂しいところだった。
ちなみに「安倍館町」と「前九年」という、前九年の役(1051年〜1062年)などを起こして朝廷に反旗を翻した安倍一族ゆかりの地名は、「安倍館町」は1940(昭和15)年〜1942(昭和17)年頃、「前九年一丁目〜三丁目」は1966(昭和41)年の住居表示施行によりつけられた比較的新しい地名である。

 この地にはかつて盛岡監獄(現在の盛岡少年刑務所)があった。盛岡監獄は1872(明治5)年に現在の下ノ橋町の下橋中学校敷地内に開設されていたが、1884(明治17)年に監獄からの出火が原因で、当時の盛岡の中心部であった河南地区のほぼ全域を焼き尽くす大火が発生。その後、この地に移転された。1980(昭和55)年、周辺の宅地造成による市街地化によって、増加した住民の安全確保のため、現在の盛岡市上田松屋敷に移転した。
市街地と盛岡監獄を隔てる鉄道(かつての東北本線で現在はいわて銀河鉄道線)に架かる橋。かつて「監獄橋」と呼ばれたが、「ふれあい橋」に改称している。
かつての監獄跡は公園となっている。

公園内は野球場が併設されている。

公園内にある休憩所。

公園入口にある「前九年の由来」の石碑。

現在この地には、盛岡監獄があった痕跡や案内板などはほとんど残っていない。
この建物はもしかしたら監獄の関係施設跡なのかもしれない。


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