◆盛岡市内に残る古北上川の痕跡(岩手県盛岡市)◆

(2010年10月23日撮影)
 盛岡市内を流れる北上川は、かつては現在の開運橋の北で東に曲がり、現在は盛岡一の繁華街となっている盛岡市大通り、菜園をながれて、農林会館付近で南下して、盛岡城西側に隣接して、岩手女子高等学校付近で中津川に合流していた。
 盛岡城の西側を北上川、東側を中津川が接していて、要害の地としては優れていたものの、北上川は暴れ川として知られ、たびたび城下には洪水が発生し、その対策に苦慮し、城下町発展の阻害要因になっていた。
 そこで、盛岡藩第4代藩主南部重信の時代、北上川を現在のルートに付け替えをすることにし、1673(寛文13)年に工事が始まり、1675(延宝3)年に完成した。
 ちなみに今の北上川は「新川」、元の北上川は「古川」と呼ばれ、あちこちにこれにちなんだ地名を残した。例えば現在の大通3丁目は、元は仁王小路古川端といい、古川端は、古い北上川の側という意味です。

1万分の1地形図 盛岡(国土地理院発行)より引用。
青線が北上川古川、黒線が今回の探検ルート。

@北上川新川(右)と古川(左)との分岐点付近。

A古川北岸を東進。

B左手に桜城小学校が見えます。

C桜城小学校を左手にして進むと、交差点にぶつかります。

D写真左がホテル東日本と七十七銀行。

E盛岡一の繁華街の大通り。ここの大半もかつては川でした。

F大通り商店街。

G映画館が集中する通りで、地元民からは「映画館通り」として親しまれています。

G写真左を拡大。緩やかな傾斜があるのがわかります。これが北上川古川の痕跡のようです。

H産業会館(通称サンビル)。ここは北上川古川と盛岡城堀がありました。

H北方向を眺める。ここも緩やかな坂になっているのがわかります。

I左が産業会館。左が高いことがわかります。

Jまっすぐ進むと、盛岡城の石垣に到着します。

K右が盛岡城。写真左が低いことがわかります。この低い部分にかつての北上川古川が流れていました。

K左の写真の反対方向を撮影。ちょうどこの付近に川が流れていました。

L左手が盛岡城で、下流方向に歩いてみました。。

Lこの段差も川の痕跡?

M北上川古川と中津川の合流点で、左手に中津川が流れています。中央の屋根が丸い建物は岩手女子高等学校。


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