紺屋町は藩政時代初期は、名前の通り染め物屋(紺屋)が多く軒を連ね、中津川を利用して染め物を生業としていた。南部紫(むらさき)や南部茜(あかね)によって染められた布地は、盛岡藩の特産物であった。幕末頃には豪商や老舗も軒をつらねるようになり、盛岡城下における重要な商店街でした。 | |
紺屋町番屋 1913(大正2)年に消防番屋として建てられました。当時、この物見櫓から盛岡市全体が見えたと言います。1977(昭和52)年に盛岡市の保存建造物指定をうけています。2005(平成17)年に消防番屋としての役割を終えました。 |
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(2002年9月撮影) |
(2002年9月撮影) |
(2010年9月26日撮影) |
(2010年9月26日撮影) |
茣蓙九(ござく) 1816(文化13)年に創業した日用雑貨を取り扱って財をなした豪商で、盛岡市を代表する町屋建築。ちなみに地元では「ござくさん」と呼ばれる。店の名前の由来は『盛岡の老舗』に「“ござ”と畳を取り扱うことになり、店主が代々森九兵衛を名乗っていたことからお客さんから「茣蓙九」とよばれるようになったという。この建物は、江戸時代後期、明治中期、明治末期と次々に建てられたものですが、藩政時代の商家の姿を今に残しています。現在、盛岡市の保存建造物に指定されています。 |
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(2002年9月撮影) |
(2010年9月26日撮影) |
啄木新婚の家 詩人石川啄木が新婚生活を送った家。 |
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