◆盛岡市(岩手県)◆
紺屋町周辺


紺屋町は藩政時代初期は、名前の通り染め物屋(紺屋)が多く軒を連ね、中津川を利用して染め物を生業としていた。南部紫(むらさき)や南部茜(あかね)によって染められた布地は、盛岡藩の特産物であった。幕末頃には豪商や老舗も軒をつらねるようになり、盛岡城下における重要な商店街でした。
紺屋町番屋
1913(大正2)年に消防番屋として建てられました。当時、この物見櫓から盛岡市全体が見えたと言います。1977(昭和52)年に盛岡市の保存建造物指定をうけています。2005(平成17)年に消防番屋としての役割を終えました。

(2002年9月撮影)

(2002年9月撮影)

(2010年9月26日撮影)

(2010年9月26日撮影)
茣蓙九(ござく)
1816(文化13)年に創業した日用雑貨を取り扱って財をなした豪商で、盛岡市を代表する町屋建築。ちなみに地元では「ござくさん」と呼ばれる。店の名前の由来は『盛岡の老舗』に「“ござ”と畳を取り扱うことになり、店主が代々森九兵衛を名乗っていたことからお客さんから「茣蓙九」とよばれるようになったという。この建物は、江戸時代後期、明治中期、明治末期と次々に建てられたものですが、藩政時代の商家の姿を今に残しています。現在、盛岡市の保存建造物に指定されています。

(2002年9月撮影)

(2010年9月26日撮影)

啄木新婚の家

詩人石川啄木が新婚生活を送った家。


TOP旅の記録盛岡市探索の小部屋(岩手県)>紺屋町周辺