この場所は、江戸前期に盛岡城で使用する薬草を栽培していたため「御薬園(おやくえん)」と呼ばれていた。その後、御薬園は廃止され、御殿・御茶屋・能舞台などが造営され、奇岩・珍木を集めた大規模な庭園が造られた。 裏山の愛宕山には京都高雄の楓を植え、山腹には毘沙門・山王・観音堂を祀り、「下小路御屋敷」の名で代々藩公の別荘、遊歩地としていた。 江戸後期には、藩学校「明義堂(めいぎどう)」の講義所を設置し、藩士の子弟に経学・医学などを講義する教育の場にもなった。 明治維新の変革によって、これらの建物・庭園は取り壊され、現在の木造の建物と庭園は、南部伯爵家別邸として明治41(1908)年に新築・造園されたものである。 昭和30(1955)年以降、別邸は盛岡市の公民館施設として使用されてきたが、昭和55(1980)年、隣接する中央公民館を新築する際、建物の一部を取り壊し、公民館別館として改築され、現在に至っている。 (現地案内板より) |
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盛岡市立中央公民館 |
案内板 |
南部伯爵家別邸 |
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整風閣(1) |
整風閣(2) |
愛宕亭(1) |
愛宕亭(2) |
白芳庵(1) |
白芳庵(2) |
旧中村家住宅(1)(国指定重要文化財) 中村家は、十八世紀中頃から続いた呉服屋で、屋号は「糸屋」と呼ばれた盛岡で屈指の豪商でした。 この建物は藩政末期に建てられたもので、東北地方では数少ない現存の町家です。 構造・意匠ともこの時代の特色がよくみられ、当初は市内南大通り二丁目(藩政時代の穀町惣門付近)に所在していましたが、昭和四十九年三月、現在地に移築復元されました。 また、建物とこれに関連した資料は昭和四十六年、中村七三氏から盛岡市に寄贈されました。 (現地案内板より) |
旧中村家住宅(2) |
旧中村家住宅(3) |
旧中村家住宅(4) |