◆北野天満宮(京都市)◆
(2012年2月10日(金)撮影)

 903(延喜3)年、菅原道真が無実の罪で配流された大宰府で没した後、都では落雷などの災害が相次いだ。これが道真の祟りだとする噂が広まり、御霊信仰と結びついて恐れられた。そこで、没後20年目、朝廷は道真の左遷を撤回して官位を復し、正二位を贈った。942(天慶5)年、右京七条に住む多治比文子(たじひのあやこ)という少女に託宣があり、5年後にも近江国の神官の幼児である太郎丸に同様の託宣があった。それに基づいて947(天暦元)年6月9日、現在地の北野の地に朝廷によって道真を祀る社殿が造営された。後に藤原師輔(時平の甥であるが、父の忠平が菅原氏と縁戚であったと言われる)が自分の屋敷の建物を寄贈して、壮大な社殿に作り直されたと言う。

 987(永延元)年に初めて勅祭が行われ、一条天皇より「北野天満宮天神」の称が贈られた。993(正暦4)年には正一位・右大臣・太政大臣が追贈された。以降も朝廷から厚い崇敬を受け、二十二社の一社ともなった。
Wikipediaより)



鳥居

境内にはたくさんの臥牛がありました。牛は天満宮において神使(祭神の使者)とされているが、その理由については「道真の出生年は丑年である」「亡くなったのが丑の月の丑の日である」「道真は牛に乗り大宰府へ下った」「牛が刺客から道真を守った」「道真の墓所(太宰府天満宮)の位置は牛が決めた」など多くの伝承がある。

楼門

三光門(重要文化財)
額の文字は、後西天皇(1638〜1685)によるもの。

社殿(国宝)。時期的にお参りする方も受験生のがあちこち見られました。

菅原道真は梅を愛したことにちなんで境内にはたくさんの梅の木が植えられています。毎年この時期に梅の開花にあわせて「梅花祭」という催し物をしているようですが、まだ一部しか開花していませんでした。

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